わたしは幼い頃から苦手なことがたくさんある。

まずは、時間が守れない。学校によく遅刻し、朝は廊下に立たされていた。社会人になってからも遅刻癖は治らず、上司からしょっちゅう注意を受けていた。寝坊したわけではなく、準備をしているときに気になった動画や本、テレビに没頭してしまうのだ。ダメだとはわかっていても興味の方が勝ってしまい、なかなか家から出られない。

友人と遊びに出かけるのも例外ではない。挙句の果てには遅刻するわたしに合わせていた友人も遅刻魔になってしまうという、強い感染力すらある。

つぎに、忘れ物や落し物が多い。宿題や授業で使うもの、書類の提出もすぐに忘れてしまう。財布や定期、スマホを忘れて出てしまい、一緒に住む家族に駅まで届けてもらうことがよくあった。イヤフォンやアクセサリーは買っても買ってもなくなる。スマホは契約の2年以内になくしてしまい、一時期スマホのローンを3台分支払っていたときもあった。

なんでこんな簡単なこともできないんだろう。自分を責める日々だった

さらに、人の話を集中して聞けない。話の内容を覚えていられないのと、話の中で気になったワードがあると、そのワードから脳内でどんどん別の話が派生していってしまう。会議中なら、会議が終わる頃にはまったく別のことが頭の中で繰り広げられている。

まだほかにもあるけど、ちょっと落ち込んできたし、苦手なことを挙げたらキリがないのでこのくらいにしておくとしよう。とにかくこれらの“できないことリスト”は労働するうえでわたしを悩ませた。

学生時代のアルバイト先でも指示をうまく消化できずに注意され、社会人歴5年間で今の会社は3社目になる。以前の2社に関しては1年も在籍していないのだ。

なによりも、このできないことリストは“不注意でだらしない”の集合体だ。他の人にとっては日常的にこなせることでも、わたしはできない。だらしない自分を変えたくて、頑張ってみるけどやっぱりできない。「なんでこんな簡単なこともできないんだろう……」と思いつめて苦しくなり、やることなすことすべて失敗してしまうような気がして何も手につかない状態になってしまい、病院へ相談することを決めた。

自分の努力が足りないわけじゃなかった。告げられた診断に安堵した

検査で病院へ通うこと約1ヶ月。わたしは「ADHD(注意欠如・多動症)」の診断を受けた。この症状はインターネット上の動画やSNSで目にすることがあり、あてはまるなと以前から疑っていたが、検査をしたのち正式に医師から告げられた。

「やっぱりか……」とどちらかというと、わたしは安心した。だらしないのではない、努力が足りなかったわけでもない。脳のクセのようなものなのだ。とくに不得意なところが検査で判明したので、これからはそれにどうやって向き合っていくのか考えていけばいい。

今まで支えてくれた両親や、笑って一緒に過ごしてくれた友人に対して、感謝の気持ちと申し訳なさで涙をこらえられなかった。

本当はありのままでいたいのに、周りと比べては自信をなくしていた

病院では、「あなたは比べられたりラベリングされるのが嫌いで、自分の価値観や感覚を大切にしています。でも、ときどき自分がどのように見られているのか気になることがあります」と、どのような考え方を持っているのかを告げられた。

わたしは、わたしがなりたいわたしを追求していたいし、わたしのままで生きていたい。この世界がそんな人でいっぱいになったらきっとおもしろいと思っている。でも、病院に行くきっかけとなったのは、皮肉にも周りと比べて劣っていると感じたからだ。もしかしたら“周りと比べる”という身勝手な視点が、自らの長所を隠してしまい、自信をなくしたのかもしれない。

そんなわたしを見越してか、先生は最後に「この社会では同じように振る舞うことを求められると思いますが、周りのことは気にしないでください。これからもあなたを爆発させてください」と、エールを送ってくれた。

誰かみたいになる必要はない。わたしがなりたいわたしになる

わたしはできないことが山ほどあるけれど、発達障害者である前に、ちゃんと名前のあるひとりの人間である。病気だけでなく、性別、職業、年齢などたくさんの区分があるけれど、そんな区分でまとめられるほど人は単純ではない。複雑で多様だからこそおもしろいんだから、人と比べることなんて誰もできないんじゃないかな。

この社会にいる人はとても優れているように見えて、わたしみたいな大人を見つけられなかったから、「尊敬する人は?」というありきたりな質問に長らく答えられなかった。でも、今なら答えられる。「誰かみたいになる必要はない。わたしがなりたいわたしになっていく」と。