好きなものを食べられなくなる日が訪れるのを想像できるだろうか。食べられることは普通なことではない。私は不安なく食べられることの幸せを身を持って知った。
23歳のとき、消化器系の難病を患った
その幸せを知ったのはまだ数年前のこと。私は23歳になったばかりの頃、消化器系の難病を患った。仕事が忙しくて見ぬふりをし続けていた不調に気付いた母が受診を勧めた。
検査を受けて後日、診断を告げられた。
「消化器系の難病ですね」
難病と聞くとドラマで家族や友達が泣く場面のイメージが強い。
「難病?私は長く生きられないの?」
信じられなかった。お菓子・ジャンクフードを食べても人並みの量で、適度な運動を心掛けて健康的な生活を送っているはず。食物アレルギーもない。先生の説明によると難病と言われるのは発症の原因や完治する治療法が解明されていないため。考えられている原因は食生活やストレス、遺伝などだ。
「すぐ命に関わる病気ではないのね、良かった」
ショックだけれど、命は大丈夫そうだと少し安心した私。ただこれは病気とずっと付き合って生きていくという意味だった。
食べられないことが自分の世界をこんなにも暗くするなんて
治療は薬が中心で症状をコントロールして抑える。悪化の原因になりうる食生活やストレスにも気をつける。何が悪化に繋がるかは個人差があるため、一概には言えない。
「急激に悪化して取り返しがつかなくなったらどうしよう」
「何を食べたらいいの?」
先が見えず不安だった。仕事は休まないで行っていたが、通勤時や仕事中に体調を崩すのが怖くてほとんど食べられなかった。それゆえに体重は減り続けた。頭が回らなくなりイライラする時が増えた。無気力でネガティブに考えてばかりいた。友達と同じ食事ができないのを引け目を感じて、遊びに行かなくなった。趣味を楽しむ余裕もない。体力は落ちていき、ついに仕事についていけなくなった。
食べられないことが自分の世界をこんなにも暗くするなんて。
「このままではいけない」
退職してしばらく治療に専念する決断をした。
和食と和菓子に救われる
体調崩しても家だから大丈夫という安心感より、少しずつ食欲を取り戻していった。時間をかけられるようになったので食事量が増えてきた。発症時から減り続けていた体重を維持できる日もあった。
いろいろと試すうちに体調によっては食べても平気なものが分かってきた。
比較的安心して食べられたのは和食と和菓子だ。その中にも避けたほうが良いとされるものはあるが、食べられる選択肢のほうが多い。
病気になる前に私が好きだったのは料理ならカレーライス。お菓子はチョコレート、プリン、ケーキなどの洋菓子が好きだった。和食と和菓子も苦手ではなかったけれど、選べるのなら洋食と洋菓子を選んできた。
安心して食べられると分かったので、和食と和菓子を積極的に食べるようになった。白米に肉じゃが、お味噌汁に茶碗蒸し。みたらし団子にどら焼き、わらび餅。
「和食と和菓子ってこんなにおいしかった?」
出汁を取った昆布の旨味。粒あん、こしあん、小倉あんで変わるあんこの食感。炊き込みご飯が炊きあがったときのそれぞれの食材の良さが際立つ香り。
食べることは、味、食感、香りを楽しむこと
食べられるものの種類や量が減ってから私は一口を大切に味わうようになった。食べることは咀嚼して飲み込む行為のみを指すのではない。味、食感、香りを楽しむことも含まれている。楽しんで食べると量が特別多くなくても心いっぱいに満たされる。
また、和菓子は見た目の美しさに大きな魅力があると思う。桜や紅葉など日本の四季を表現した練り切り。繊細に作られていて見ていると綺麗な情景が目に浮かぶ。
祖先からずっと食べられてきたからこそ、日本人の身体に合うんだなあ。想像するだけで食べたくなっちゃう。
食べることは生きること。でも生きることは食べることがすべてじゃない。好きな曲や本も生きる力をくれる。みんなと同じでなくても大丈夫。私はこの先も前を向いて食べる。