小学生のほんの些細な一言で、私の人生は壊れていった
「スザクさんが、さやかちゃんのこと、嫌いって言ってたよ」
ほんの些細なきっかけで、人生は、いとも簡単に壊れていく。
小学生がなんとなく言ったこの一言から、私の人生は、まるで変わってしまった。
さやかちゃんと仲たがいした私は、ひとりぼっちになった。クラスのインフルエンサー的存在の子が、あることないこと言いふらして、私は初めてひそひそ声と人の視線を気にするようになった。卒業直前で小学校に行けなくなり、中学でも不登校。話すことが怖くなり、しゃべろうとすると、よくどもるようになった。夜になると涙が止まらなくなり、手首を切ったこともある。高校でも、人の視線と笑い声が恐ろしくて、過換気症候群になった。結局高校は退学。
私は中学時代のことをずっと引きずり、中学で私のことをひそひそ言っていた子たちを、ずっと恨んでいた。毎日毎日、どうか彼女たちが不幸になりますようにと、念じながら眠りにつく。完全に病んでいたのだ。
その後進学した短大で信頼できる友人たちに恵まれ、少しずつ人生を楽しめるようにはなったが、不登校が引き金となって顔を出した私の恐怖は、最近になるまでずっと続いていた。精神安定剤が手放せなかったし、泣いたり、怒ったり、叫んだりしながら、必死になってここまで生きてきたのだ。
しかしおそらく、小学校や中学校でひそひそ私を追い詰めていた子たちは、そんなことなど何も知らずに生きている。普通に進学して、青春を楽しみ、結婚して、出産して。フェイスブックの友達申請を出せば、「懐かしいね!」なんてメッセージを送ってくるだろう。彼女たちには人を傷つけていた認識すらないのだ。そしてその恐ろしさに気づくことすらできないだろう。
傷つくことのつらさを知っていたから、人に優しくなれた
私は今、とても幸せだ。好きなことを仕事にして、優しい夫がいて、楽しくお酒を飲み交せる友達もいる。不思議なもので、自分自身が幸せだと、過去のつらいことなんてどうでも良くなる。つらいことがあったからこそ、今の人生があるわけだし、こうして経験を元にしたコラムを書くことだってできているからだ。
けれども私が今不幸だったらどうだろうか。毎日同級生の不幸を願って眠りながら、泣き喚き、怒り狂っていたとしたら。仕事も続かず、恋人にも恵まれず、友達付き合いもうまくできない28歳になっていたなら。恨みが煮詰まった私は、あらぬ考えを起こしていたかもしれない。悪いことをしたという認識すらなかった子たちは、罪の意識もないままに、恨みによって、人生を壊される可能性だってあったわけなのだ。
それは私にも言えること。私だって、誰かにとっての「彼女たち」かもしれない。記憶にはなくても、誰かを知らぬ間に傷つけ、恨まれている可能性は十分にある。それに気づくことができたのは、つらいときや苦しいとき、「そっちじゃないよ」と手を引いてくれる人たちがいたからだ。そしてそんな人たちと出会えたのは、私が傷つくつらさを知っていたからだと思っている。傷つくつらさを知っていて、自分とも向き合って初めて、私は人に優しくなれた。優しさに答えてくれたからこそ、友人たちは、自分のためでなく、私のために言葉をかけてくれたと思うのだ。
SNS上でくらい、キレイな部分を見せる私でありたい
インターネットが発達した昨今、ツイッターのタイムラインを見れば、誹謗中傷があふれている。多くの人は、罪の意識なく、ただなんとなく、空気に流されるかのようにひとことを発しているだけだろう。それでもそのなんとなくの一言が、どこかで誰かの人生を変えているかもしれない。そしていつの間にか恨まれ、あなたの不幸を毎日祈るようになっているかもしれない。
人をまったく傷つけないように生きていくのは不可能だ。人を嫌いになることだってあるし、悪口を言いたくなることだってあるからだ。人間だから。悪口を言わなくとも、にじみ出る悪意が伝わり、相手を傷つけることだってある。しかしそこまで気を配っていては、人生かなり生きづらい。
だからこそ私は、SNS上でくらい、きれいごとで飾られた、理想の私でありたい。ムカつくことよりも、うれしいことや楽しいことばかりをつぶやく世界。できるだけ人を傷つけない世界。インターネット上だからこそ、夢みたいな「キレイゴト」の世界ができてもいい。私はこれからも、等身大の私を現実で見つめながら、キレイな部分だけを、SNSで見せる私でありたいのだ。