無碍にしてほしいの。
憧れのあなたから突き放されて疎まれて傷つきたいの。
だって、私はそういう扱いをされる子なんだって確認したいから。
早く答え合わせをさせて。不安なの。
ダメならダメって早く言って。
底辺でも端っこでもどっちでもいいから、贅沢いわないから、もたれる壁が欲しいの。

私は「好き」を素直に受け入れられない。だって自己肯定感が低いから

こんな生き方をしてきて18年が経ったが、これが自己肯定感の低い人間特有のものだと気づくまでに相当の時間を要してしまった。

自己肯定感という言葉に初めて出会ったのはネットだ。いろいろなところからかいつまんで脳みそにしまってきた語彙は、これに近い言葉を用意していた。
私の脳曰く、自尊心というらしい。
自分を尊敬する心。ありすぎても虎になるようで困るのだが、なさすぎるというのも困りものである…だって現にほら、生きづらい。

私は育った家庭環境が複雑で、ときどき精神状態が不安定になる。そんな時、些細なことでも何もかもが自分のせいに思えて押しつぶされるような気持ちになってしまう。

好きな人に好きと言われても、受け入れられない。だって自分が嫌いだから。
好きな人に嫌われないと納得できないくせに、冷たくされたら「あぁ、私の人生終わった!」と二度と立ち直れなくなってしまう。

一方、嫌な相手には食ってかからないと気が済まないときもある。これは私のプライド(つまり自尊心)に関わることだと思うのだ。いや待てよ、私、自尊心低いんじゃなかったっけ?

ここで、私のアイデンティティが“他人に否定されてしまったところ”に存在しているのかどうかが重要ということに気づく。

何もできなくてもいい。自分の存在を「否定」しないこと!

たとえば、アニメにでてくる美人キャラなら顔を貶されたら激怒するはず。何故なら、当人の長所もといアイデンティティはそこにしかないと思うから。

私は、“大切にされる”というアイデンティティ(こだわり)がないのであろう。
だから好きな人に嫌われたい。曖昧な感情に左右される“フツウ”をなくしてほしい(好きでも嫌いでもないって言われるのがいちばん怖いのかも)。

この思い込みは個性なんて言葉では片付けられない、ただの不健康な精神だ。誰かに利用される、都合の良いヒトにしかなれないのだから。
ここから私は旅立たなきゃいけない。このままじゃきっと自分の不幸な役回りにすら気づかない。

旅立ちへのチケットは、“自己肯定感”だと思う。ここまで重い責任を背負わされた5文字はきっと他にないだろう。

きっと、肯定というのは「今日も○○できてすごい!」「私って可愛いし偉い!」と自分を褒め称えることなんかじゃない。もっと受動的で、漠然としている。何もできなかったとしても、ただ存在してるだけの自分が尊いのだと認識することだ。
いまは自分の良さを見つけるのが下手なだけ。

このちょっとの認識を変えることの難しさは、きっと火を見るより明らかというやつだろう。凝り固まった思考回路はそう簡単には変わってくれない。

他人に大切にされるように、まずは自分を大切にしてあげたい…

自己肯定感の低い私の課題は、“大事にされなかった記憶”に囚われるのをやめること。
無防備な部分を容赦なく傷つける他人の目におびえて自己保身に逃げる私を、私まで否定したら、誰が守ってくれるだろうか?

「私は何もしなくても生きていていい」と、私を呪いから解き放ってくれるのは、バッチリ決まったファッションでも、上手に塗れたマスカラでも、綺麗に巻いた髪の毛でもなく、自分を想う気持ちだけなのです。

私もまだまだ自信なんかないけど、今日も私を大切にしてあげる(たとえば入浴剤を変えるだけで私は充電満タンになれることがあった)。
何かがうまくいかなくても、それは私のせいじゃない。嫌な事っていうのはルーレットが決める運命みたいに回ってくるんだから。

この世のすべての無碍にされたい女の子が救われますように!