娘がディズニープリンセスに憧れるのが不安…というのは杞憂かも
たくさんの想いの詰まった、かがみよかがみのエッセイ。「あの人」は、このエッセイをどんな風に読むのだろう。「あの人が読んだら」では、各分野で活躍されている方にエッセイを読んでいただき、その感想を綴ってもらいます。 第4回は、朝日新聞デジタルで、編集部員として活躍されている、日高奈緒さんです。
たくさんの想いの詰まった、かがみよかがみのエッセイ。「あの人」は、このエッセイをどんな風に読むのだろう。「あの人が読んだら」では、各分野で活躍されている方にエッセイを読んでいただき、その感想を綴ってもらいます。 第4回は、朝日新聞デジタルで、編集部員として活躍されている、日高奈緒さんです。
【今回読んだエッセイ】
シンデレラが歳をとって容姿が変わったら?英才教育を受けて育ったであろう王子様が教養の無い彼女への優越感に浸ることに飽きたら?想像するだけで悲惨。シンデレラR.I.Pである。
王子さまくらい、もう自分で迎えに行かない?
偶然落としたガラスの靴を頼りに、王子様が来るのを待っていたシンデレラ。無事、王子様と結婚した後はどうなったのか。Kaoriさんのエッセイ、「王子さまくらい、もう自分で迎えに行かない?」を読んでそんなことを考えました。
実は先日、ディズニー制作の映画「ディセンダント」シリーズにその答えがあるのを見つけました。「ディセンダント」は、ディズニープリンセスやヴィランズ(悪役)に子どもがいたら…という設定で進む学園ドラマ。シンデレラと王子の間にはチャドという息子がいることになっています。チャドは学園内でも目立って嫌なやつで、例えばムーランの娘ロニーが男子ばかりの運動チームに入ろうとしたところ、「女が試合に出場?」と追い返すほどです(「ディセンダント2」)。ムーランの娘なので、運動神経抜群なのに。そう、どうやらシンデレラと王子は子育てに苦労していそうなのです。
一方、映画「美女と野獣」の賢いベルと、野獣の間に生まれた息子ベンは、皆に信頼される学園一の人気者。そんな息子たちの違いを見て、シンデレラは何を思っているのでしょうか。国民にも「チャド王子は出来が悪い」などと陰口をたたかれているに違いありません。きっとシンデレラの心中は「ハピリー・エバー・アフター」(末永く幸せに)ではないでしょう。
我が家の4歳の娘もディズニープリンセスが大好きです。私自身も小さい頃に「美女と野獣」のVHSをすり切れるまで見たほどだったので、キラキラした世界に憧れる気持ちは分かります。ただ、シンデレラや「眠れる森の美女」のオーロラ姫のように、正体もよくわからない王子に偶然見いだされることが幸せな将来だと信じてしまったら良くないだろうな、とも思っています。もちろん、誰かにおこぼれをもらっていい思いをするのは楽ですし、気持ちが良いでしょう。「なんて美しい姫なのだろう」とちやほやされるのはきっと楽しいに違いありません。
魔法で変身して王子様を待つという他力本願で頼りない生き方は、最終的に自分を苦しめることになる。自分の知的好奇心に正直になって自らを教育し、自分の判断軸や意志にしたがって丁寧に日々生活していくこと、これは自己防衛である。
エッセイを書いたKaoriさんが綴っているように、自分の人生を誰かの選択に委ねることは危険ですよね。自分を大事にしてくれる「白馬の王子様」だと思った人が、シンデレラの息子のようなセクシスト(性差別主義者)である可能性だってあるわけです。なので、娘がプリンセスに憧れる気持ちにちょっと複雑な思いもありました。
そんなちょっとした不安を抱きながら、最近のプリンセス映画やテレビ番組を娘と見ているのですが、ひょっとしたら親の杞憂に終わるかもしれないと最近は思っています。最近のディズニープリンセス、より具体的にいえば2000年代以降の彼女たちは驚くほど現代の感覚にアップデートされているのです。
ご存じの方も多いでしょうが、「アナと雪の女王」(2014年日本公開、続編は2019年公開)のエルサは作中で恋愛をしません。恋愛をしないことが「風変わり」とか「おかしい」と決めつけられるような描写も皆無です。実写版「アラジン」(2019年日本公開)のプリンセス、ジャスミンは周りに「女は黙ってろ」と言われても「私は黙らない」と高らかに歌い、その夢は国の統治者とスケールアップしています。
同様の傾向は、その前から現れています。日本では2010年に公開された映画「プリンセスと魔法のキス」の主人公ティアナはディズニー界では初の黒人のプリンセス。王子こそ登場しますが、将来の夢は自分でレストランを経営することなのです。
ここまでのプリンセスはいわゆる「バリキャリ」で、伝統的に男性が達成してきたことに挑戦する意識の高さがうかがえます。ただ、そんな生き方だけがロールモデルだと疲れてしまうという声もあるかもしれません。そんな意識を反映しているのか、「アナ雪」の妹プリンセス、アナはエルサと対照的。恋愛で痛い目に遭いつつも、素敵なパートナーを見つける設定になっています。
ディズニープリンセス映画の高度なセルフパロディーとしても面白い映画「魔法にかけられて」(2008年日本公開)では、その対比はより鮮明です。主人公のジゼル姫がおとぎ話の世界を離れ、正反対の世界(=大都会ニューヨーク)で起業し生きていこうとする一方、ニューヨークで活躍する女性弁護士のナンシーは、キャリアを捨てておとぎの国の王子を選ぶのです。
「結局、王子と結婚するんかい」と心の中でツッコんだ方もいるかもしれません。ただ、王子との結婚だけが幸せの頂点として描かれていた頃と違い、現代のプリンセスに共通するのは、女性側が主体的に生き方を選んでいることです。そしてその生き方は一つではありません。
現実世界でも同じですね。仕事と子育て両方やる女性、仕事一筋の女性、子育てや介護など家族のことに専念する女性、など挙げればきりがありません。それぞれに善し悪しがあるわけではなく、その人が選んだ生き方が自分にとってベストなのだということを、保守的に見えるプリンセスたちも実行しているのです。
そんなプリンセスの進化に、アラフォーの私はいたく感心しているのですが、幼い時からエンタメを通じてそれが当然だと学んでいる娘は、より自然に受け入れているようです。愛らしいシンデレラに憧れる一方で、(ディズニープリンセスではないですが)映画「ブラックパンサー」に登場する発明の天才でありプリンセスでもあるシュリを見て「しゅごい」と目を輝かせています(余談ですが、シュリは国王となった兄を守る技術を次々と開発する、プリンセスとしては異色のキャラ設定です)。
まだまだ社会では女性、特に若い女性が生きづらい面が残っているのは否めません。「女の幸せ」といった言葉で人の人生をジャッジしようとする人もまだまだいます。それでも、世界最大級のエンタメ企業であるディズニーが提示するプリンセス像は、そんな古い見方から脱却しようとしているのが明らかです。
これからの若い女性たちがプリンセスに憧れることは、もはや心配されるようなことではないのかもしれません。フワフワのドレスを着て政治家になってもいいし、アーマーを身につけて王子を探す冒険に出てもいい。道はいくらでもあるし、選んだ道について外野に色々言われる筋合いはないのですから。
2009年に朝日新聞入社し、各地での記者職を経てデジタル編集部所属。映画・音楽好きが高じて各種動画・音楽配信サービスに課金する日々です。今年観た映画でかがみ世代におすすめなのは「ハスラーズ」。
Twitter: https://twitter.com/hidaka_nao
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