多分わたしは、他の人より、ものをあまり捨てたがらない体質だ。
小さい頃は、とりわけ取捨選択ができなくて、雑然としたがらくた――例えば、お菓子のパッケージや、布切れ、空き箱なんか――をためて、仕舞っておいていた。
今はそこまでのことはしないものの、ものを捨てるときには少し時間をおいて考える。
洋服は、祖母や母が昔着ていたお下がりを未だに着るし、服が破れてしまっても、すぐに捨てるのが忍びなくて、せめて布巾やぞうきんにできないかと取っておいてしまう。
そのわたしが特に「捨てられない」のを実感したのが、大学生の頃にフィリピンで数カ月間、語学留学をしたときのことだった。
フィリピンでは、日本みたいな品物がすぐには手に入らない
フィリピンでは語学学校に併設されていた寮に暮らし、生活するのには不自由はなかったものの、手に入るものがやはり日本とは違っていた。ペンやノートを買おうと思って寮の近くのスーパーに出かけたことがあったが、そこにあったのは、書けば芯のぐらぐらする粗末なシャーペン、質が粗くてガサガサ、ペラペラな紙のノートだった。
ここじゃ、日本みたいな品物がすぐには手に入らないんだ。
そう気づいて、持っているものをいかに大切に使うかを強く意識するようになった。
フィリピン留学での経験はそれだけではなかった。
使えるお金があまり自由ではない中での渡航だったため、使えるものは極力使い回す必要があった。
持ち物は常に、スーツケース一つ分だったけれど、その中に、買い物でもらったビニール袋なんかもきちんと取っておくようにした。ビニール袋たった一枚でも自分の資産……なんて言ったら大げさだけど、ビニール袋一枚が、本当に「いざというときに使える」ものだった。
「捨てない」ことに引け目を感じることが少なくない
小さい頃からの性格と、海外での生活のおかげで、わたしの「すぐにはホイホイ捨てない精神」は養われたのだと思うが、実を言えば、「捨てない」ことに引け目を感じることが少なくない。
例えば、「まだ使える」と思って自分は使っていても、他の人の目には「あんなにぼろぼろになってもまだ使って」と映ることがあるだろうし、そのせいなのかわからないが、「貧乏性なの?」と笑われたことだってある。
それから、ものを簡単に捨てる人を見ると、捨てるのは人の自由だとは思うものの、捨てられたもののことを考えると心が痛んでしまう。
だって、そのものの背景には、原料になったものや生命があるし、それを作った人、運んだ人、売った人たちがいるのだから。
考えすぎだとわかっていても、いちいち細かく目を留めてしまう自分自身に疲れてしまっていた。
「袋を持ち歩いてるなんて、かっこいい!」その言葉がうれしかった
だけど、この性格をしていて一度、ささやかだけど、とてもとても、心の底からうれしかったことがあった。
それは、社会人になって会社の近くのお弁当屋さんでお昼を買ったときのこと。レジ袋有料化になるより、もっと前のことだ。
わたしは、以前そのお店で買ったときのビニール袋を持ってお昼を買いに行った。それで新しい袋を断って、あらかじめ持ってきていた袋に入れて持って帰ろうとした。
すると、お店のお姉さんがその様子を見て、
「うちの袋を持ち歩いてくれてるなんて、すごい! かっこいい!」
と手放しに褒めてくれたのだ。
えっ。かっこいいんですか、これ。
内心わたしは戸惑った。
そんな風に褒められたことなんて、なかった。だって、袋をケチっているように見えなくもないからだ。どちらかというと、使い回しなんてダサい、そういう視線を受けてきたたちなので、反応に困った。
「かっこいいですよ! うれしいです。ありがとうございます!」
そんな風にさらにお姉さんは言ってくれた。
まさかまさか。こんなことでお礼を言ってもらえるなんて。
わたしはうれしくて、うれしくて仕方がなかった。ああ、自分の行動、間違ってないんだ、と背中を押された気がした。
それから時間が経って、今、世界的に資源を大切に使うという動きが高まっていて、わたしはとてもうれしく感じている。ものを大切にしたい――その素直な気持ちに、自信を持っていければいいなと思う。