2020年春、「こんなはずじゃなかった」が溢れたであろう社会へ。
「こんなはずじゃなかった」と苦しむ、「20卒@仕事辞めたい」アカウントへ。

5分だけ立ち留まって、あなたと同じ、20卒の話を聞いてほしい。

「自分は何もできない」私を責める声が聞こえ始めた

自粛生活が緩和されてきた6月のある日、私は仕事を辞めた。

今年の上半期は世界にとって何から何まで「想定外」だったが、私がこの春踏み入れた社会や仕事もまた、「こんなはずじゃなかった」の連続だった。

自分としては激務だったし、慣れないことばかりで失敗だらけ。理不尽に怒る上司なんて1人もいなかったから、だからこそ自分のできなさや、会社のお荷物になっていることへの罪悪感が募った。

「自分は何もできない」

意識はどんどんどんどん内側に向き、本来向き合うべきお客様よりも、上司の顔色ばかりを伺うようになった。自分を守るためにしか働けなくなった。オフィスにいると、パソコンの画面をみている目は滑り、意識は会議室から漏れ聞こえる上司たちの声に翻弄された。気づいたら自分を責める声が聞こえるようになり、業務に全く集中できなくなった。

GW明けの木曜日、その日も業務に集中できなくて、普段ならしないようなミスを連発した。あぁ、ほんっとうに私は何もできないんだ。頭の中で、あの子って何をやらせてもダメだよね、という声が止まない。オフィスのど真ん中で号泣したのち、業務を減らしていくことになった。

元「20卒@仕事辞めたい」アカウントの私から残念なお知らせです。

今、Twitterには多くの「20卒@仕事辞めたい」アカウントが存在する。皆それぞれに事情はあるだろうが、元「20卒@仕事辞めたい」の私から残念なお知らせがある。

仕事は、辞めてからも地獄だ。

なんて残酷なんだろう。仕事は、辞めても辛かった。家に1人で過ごすことが多くなると、「こんなはずじゃなかった」の一言で頭がいっぱいになる。Zoom飲み会をしても、同期たちは口では毎日大変と言いながらもやりがいを感じているのが隠しきれてないし、「20卒@仕事辞めたい」アカウントだって、皆辞めていない。重い足を引きずって、満員電車に乗っている。

お母さん、こんなことのために仕送りをしてくれたわけじゃないのに

平日の昼下がり、ベッドに寝転がり窓の外を見ていると、あれ、私ってニートになるために東京にきたんだっけ、こんな晴れた日にゴロつく娘のために、お母さん仕送りを送ってくれていた訳じゃないよね、と自分を責め続けた。自分の欠点に誰よりも早く気づいて帳尻を合わせることが、打たれ弱い心を守るために身につけた術だったのに、目の前がまっさらになった今、どうしたら人生の帳尻が合うのかが分からない。なんで皆ができることができないんだろう。私、どこで人生間違えたんだっけ…?

そうして2週間ほど経ったある日、同居人が「一度実家に帰ったら?」と言う。確かに仕事もなくなった今東京にいる理由はひとつもないし、鉛のように重い心を独りで抱えるのは、もう限界だった。

母が暮らす実家で、ほどほどに家事をしながら暮らす自分を想像してみる。
毎日家事をしたって、時間は余るほどあるだろう。何かしていないとネガティブ思考に陥る自分は、大学の受験勉強に一生懸命だったあの部屋に戻ったら、また今の自分を責め続ける。必要以上に欠点を見つめ、傷をえぐり続ける。何か、罪悪感のない暇つぶしはないだろうか。

頑張れないことを認めたら楽になった

仕事を辞めてから、なんとなく社会人が起きるであろう時間に起床し、なんとなくパソコンをいじってみる日々を過ごしていた。「何かしたい、でも何もしたくない」という自分でもどこに向かったらいいのか分からない葛藤の末、ひとつ思い浮かんだのが暇つぶしが、書くことだった。暇になったら、私はきっと書くだろう。呼吸よりは容易くないけど、夕食を作るよりは自然なことだったから。

そう気づいた時、自分にはできないと諦めたライターをもう一度目指そうと思った。「皆と同じ」に囚われていた就職活動を機に諦めてしまったが、元はと言えば、自分のしたい生き方も働き方も、全然「皆と同じ」ではなかった。

口にすると心臓が縮みそうなほど不安だし、いつ「やっぱ辞めた」と言いたくなるかも分からない。けれど、皆と同じようには頑張れないことを認めたら、気持ちが楽になった。沈んでいた心に、風が吹きはじめたようだった。

「こんなはずじゃなかった」を生きる人よ、どうか、健康で。

2020年も半分が過ぎ、夏休みもプールもない8月が来た。
「こんなはずじゃかった」を生きるすべての人たちへ。
どうか、健康で。心と、体の健康を保って生きていてほしい。

あなたはあなたのペースで、あなたの人生でいい。
皆と同じように、頑張れなくていい。