数字で努力の結果が表れるダイエット。気づけば拒食症になっていた
15歳のとき、私は拒食症になった。
食べるのが怖かった。
あのときの私は、自分に生きることを許せなかったのではないだろうか。
拒食症になるきっかけはダイエットだった。
当時運動部に所属していた私は、体重を落とせばもっと軽やかに動けるはずという理由で食事制限を始めるようになる。もともとまじめでストイックな性格だったので、自分を戒める系の課題は得意だった。ダイエットでよく聞く「挫折」はなく、減量はすこぶる順調に進んだ。
目標体重を決め、毎日食べたものと体重を記録。やがて1日に摂取したカロリー合計を算出するようになる。体重という数字で努力の成果が表れるのがわかりやすく、ダイエットにおいては自分を評価してあげることができた。きっとここまでのめり込んでしまったのは、私の中にいつも満たされない不安がベースにあったからだと思う。
周りの心配も体の変化もよそに膨らんでいくぜい肉への恐怖
体重が目標に達すると、私は体調を崩した。軽やかに動けるようになるはずだったのに、冬の寒さに凍えてじっと耐えなければいけなくなった。
鏡にうつる私はスリムだった。顔は一回り小さくなり、ウエストや太ももも細くなった。
あばら骨が浮いていたが、そのときは気にもとめなかった。
体育の授業や部活のときの着替えが寒くて、とにかく苦痛だった。目は光をなくし、ぼんやりと宙を眺めるようになる。からだは鉛のように重たく、授業中に眠気が襲う。白いまつ毛がはえ、生理はとまった。
急激に痩せて様変わりした私に周りから心配の声が寄せられたけど、私は減量のせいではないと言いはった。この体重が私にとってはベストで、今更増やすことなんて絶対にできない。ぜい肉は醜い存在でそれを増殖させることは、健康を損なうことよりも怖いことだった。
そして迎えた15歳の誕生日。ケーキを目の前にして「食べられない!!」と叫び、突っ伏して泣いたのだった。
絡んだ紐をほどくように少しずつ回復し、今では食べることが楽しみに
あれから10年以上の月日が流れた。今の私にとって食べることは、暮らしの中の楽しみであり、元気の源である。パッケージのカロリーを確認することもなければ、体重計にのることもない。お腹がすいたなと思ったら、ごはんやおやつを美味しくいただいている。
「あのときは、どうして食べられなかったんだろう?」自分が経験したことなのに当時の感覚はすっかり遠ざかり、不思議な気持ちにさえなるのだ。
拒食症をどうやって回復したのか。私の場合は幸いにも生死に関わる状態にまでは至らなかったので、心の問題と向き合うことで徐々に緩和されていった。信頼できる精神科医とカウンセラーとの出会いがあり、自分に絡まっていた紐を少しずつほどいていくことができた。
似た経験をしている人に伝えたい、自分からのSOSを見逃さないで
見守り続けてくれた家族の支えも大きい。
母に「こんなにダメな私では、家族のお荷物になってしまう。」と嘆いたとき、「それでもいいの。それでもあなたに生きていてほしいの。」という言葉をもらった。一生忘れない、私の宝物だ。
泥沼から這い上がる日々は決して楽ではなく何度も絶望を経験したが、その度に支えてもらった。
拒食症になり多くを失ったけれど、多くを得た。乗り越えた私は、ずいぶんとたくましくなった。
もし、あなたが今「食べるのが怖い」と思っているなら、それは自分からのSOSだと受け取ってほしい。心のコップがいっぱいで溢れてしまいそうだから、食べることに違和感を感じるのだと思う。
勇気を出して専門家を頼り、自分の心と向き合ってほしい。また美味しく食べられるようになれる日がくることを信じて。