娘にはよくある話だが、母とウマが合わない。高校を卒業するくらいまでは思わなかったが、大学3年生を過ぎてくらいから突然、そう思うようになった。そう思うようになってからは、もうそうとしか思えず、美しい景色や美味しい食事を共感することさえ難しくなった。それからは色々な場面で衝突ばかりした。

しかし、このままではダメだと思い、私が大学4年生のとき、二人で台湾旅行に行こうと提案してみた。ある有名アニメ映画の舞台ともいわれる、台北北部にある九份に行きたがっていたことを思い出し、二人で海外旅行に挑んだ。当時の台湾はちょうど次期総統の選挙戦が繰り広げられている真っ只中で、街は選挙カラーで一色だった。初めての二人旅。街に漂う八角の香りに、心がもっていかれた。

日本から3時間ほどで着く台湾だが、あまり日本語は通じなかった。3日間、私が英語で二人の意思を台湾の人たちへ伝えていくのに必死だった。地下鉄の乗り継ぎや、店の値切り交渉など、英語のできない母は私に任せきりだった。私も得意といえるほどの技量ではないため、苦労した。そんなこんなで、2泊3日の台湾旅行は終わりを迎え、帰る頃にはお互い、もう一度あれが食べたい、もう一度九份に行きたいと、台湾との惜別の念を感じていた。

英語の勉強に取り組む母に、つい出てしまった私の「癖」

それから、私はもともと海外に興味があったので、通う大学の留学生たちと交流したり、そのうちの留学生の一人を家に泊まらせたり、一人でバンコクへ旅行したりした。中でも中国やタイなど、アジアの友人との経験はその後の私に大きな影響を与えた。母はそんな私を心配そうに、時には羨ましそうに見ていた。

そんなある日、母が突然、英語を勉強したいと言い出した。驚いたが、とりあえずもう既に母はスピードラーニングを全て揃えていた。家事をやりながら習得したいとのことで、聞くだけで話せるという魔法の文言のもと、母なりに取り組んでいた。しかし、すぐに飽きてスピードラーニングは諦め、次はEテレの英語番組を見ていた母は、またも自分なりに英語を習得しようとしていた。しかし、そこで母に対して私の良くない「癖」が出た。聞くだけで英語なんて話せるようにはならいし、まずはテキストを買って文章を読んだ方がいい、とか、英語でコミュニケーションをとりたいなら、オンライン英会話をした方がいいなどの「アドバイス」を皮切りに、そもそも恥があるからダメだよ、毎日続けなきゃ意味ないなどと、言った。すると母の「武装」が始まった。大きな声で反論する。だってわからないんだから仕方ないじゃない、馬鹿にしないでよ。そんなこと言うならもうやらない!と言い放った母は、それから英語をやめた。それっきり、英語は母の中でタブーなものになってしまったと思った。

「シーユー!」初めて気付いた、母が踏み出した小さくて大きな一歩

ある時、とあるイベントがあった。母が勤める会社行事の魚釣りイベントに私も参加した。そこには職員のほか、職員の家族や友人が同じ船に乗り込み、潮の引いた海に入り、網を使って自分たちで獲った魚を調理してもらい船上で食べるというものであった。そこに外国人の女性が一人いた。国籍はルーマニアだという。その女性はあまり日本語が得意ではないため英語が話せるメンバーと会話をしながら楽しんでいた。とくに話すこともなかったので、私を含め、他の人は彼女に話しかける様子もなく、各々、作業に取り組んでいた。しかし、母は少し彼女が気になっていた。魚を獲るとき、船から降りるとき、食事をするときなど、幾度かの場面において母は彼女を気にしていた。でも自ら積極的に話しかけるようなことはしない。彼女が網を欲しそうにしていたら貸してあげ、あっちに魚がたくさんいるよと指をさして教える程度であった。

その帰り道にみんなと別れる際、母がはにかみながら、私にこんなことを聞いてきた。「あのさ、さようならって、英語で”see you”でいいんだっけ?」と。私は「うん、それでもいいし、see you againでもいいんじゃない?」と答えた。それを聞いた母は、スタスタとルーマニア人の彼女の元へ近寄り、「see you!」と言った。彼女も笑顔で「see you」と返すと、母は嬉しそうに私のところへと帰ってきた。聞こえていたが、私は、「なんて言ってた?」と聞くと、「see youって言ってくれた!」と少し興奮した表情で言っていた。私はなぜだか泣きそうになった。母の小さな一歩。でも、とてつもなく大きな一歩。私は25歳になるまで母のあんな顔を見たことがなかった。50歳を過ぎて外国人に初めて一人で挨拶をした母。しかも諦めたようにみえた英語で。「see you」なんて簡単な英語。しかも母の場合はsee youというよりは、「シーユー!」だった。私はあの日の母の一歩を考える中で、自分を恥じた。母の小さな変化を、これまでの人生でたった一回しか感じることのできなかった自分を。

「理想の母」かどうかじゃなくて、ひとりの人間として付き合っていく

頑固で天邪鬼で気分屋の母がずっと嫌いだった。けれど、昔から、母と何かを共感したいと心の底から思っていた。特に母からは期待するほどの愛は返ってこないのが常だとわかっているのに、その、くだらなくも、「もろい返事」がほしかったのだ。でも、なかった。しかしそれは少し考えたらわかった。私がずっと彼女への興味がなかったから、私も彼女へ「返事」をしてこなかった。素直に、対等に生きることができなかった。母親と仲の良い友人が羨ましく、他人の母がいつも「理想の母」に見えて仕方なかった。だから、その理想の母像から逸脱した自分の母が長く受け入れられず、母への「返事」を避け続けた。しかし、母の「シーユー!」でそれは崩れた。あの時、新しい母を見た私は、それまで母の一面しか見ていない自分に気づいた。一面だけで母を「評価」していた。でもあの母の一歩は、それまでの母を受け入れられなかった私を変えるきっかけをくれた。

これからもきっと些細なことで母とはぶつかるのだろう。きっとまた、もう死んでもわかりあえないと思う日が来るのかもしれない。けれど、いつだって私は彼女へ「返事」をしたいと思う。そうし続けることで自分を救い、いつだってまた新しい母と会えることができるのだから。