「加害者」と「被害者」のどちらにもなりたくない、そう思う人は多いはず。なりたいという意見は少数派だし、寧ろなりたいという意見は無くなってほしいと願う。日々過ごす中で、まさか自分に関わる話になるとは誰も思っていないだろう。しかし、自分が意図しないところで突如として人は「加害者」にも「被害者」にもなり得てしまう。
印象に残っているのは、病院の霊安室と小さな村での葬儀のこと
私は「被害者家族」であり、「被害者」は祖父。私が4歳のクリスマスイブの日、祖父は交通事故でこの世を去った。突然の出来事だった。
その日、祖父は寮で生活する高校生の孫(私の従兄弟)が冬休みで帰省するため、駅まで車で迎えに行っていた。駅の駐車場に車を停め、孫が到着するのを待っていた。1台の車が祖父の車の横を通り抜けて、駐車場から車道へ出ようとした。何故かは分からないがその車は祖父の車の横を通り抜けずに、そのまま真っ直ぐ祖父の車へ突撃した。
当時の記憶をほとんど私は覚えていない。4歳だったから忘れていることの方が多い。その中でも強く印象に残っている記憶が2つある。1つは病院の霊安室でのこと。冬の寒い中私は、祖父が事故に遭ったと知らせを受けた母親に手を引かれて病院へと向かった。後から聞いた話だが、知らせを受けた時は祖父はまだ生きていたそうだ。母親は、事故で入院することになったからその手続きをしにいくつもりで病院へ向かったらしい。ただ、病院で待っていたのは、霊安室で横たわる祖父だった。祖父の顔はきれいだった。どうして祖父が寝ているのか、何故母親が泣いているのか、後からきた祖母と従兄弟がなんで祖父の上に覆いかぶさるようにして泣きじゃくるのか、当時の私にはよく理解できなかった。霊安室は薄暗く、病院の廊下は薄いタイル張りの床でとても寒かった。それは、私が人生で初めて直面した「死」だった。
2つ目の鮮明な記憶は、祖父の葬儀だ。祖父母は小さな村の限界集落に住んでいた。ご近所には数人しか住んでいないのに、その日は数十人の大人達が祖父母の家を訪れた。見慣れた顔よりも初めて見る大人達の多さに圧倒された記憶がある。雪が降る中、数人の男達が棺桶を肩に担ぎ、祖父が入るお墓を目指して歩く。私は親戚のお姉さんに手を引かれて列の後ろの方を歩いていた。積もった雪に足を取られて思うように歩けない。真っ白い世界で黒い点々が列をなしてお墓を目指す光景は異様だったかもしれない。お墓では祖父が入るであろう穴がすでに掘られていた。当時、村では火葬ではなく土葬が主流だったのだ。大きな穴にスコップを手にする大人達。私にはこれから何が行われるのか分からなかった。ただ漠然ともう祖父とお別れなんだと思った。
祖父がこれから生きたであろう人生はどうなるのだろう
不慮の事故。本当に?私には今でも疑問でしかない。実は事故の詳細について20歳を超えるまで私はよく知らなかった。祖父が事故で亡くなったことは知っているが、その事故がどういうものだったかを全く知らなかったのだ。母や叔父から何度聞いても、私には何故祖父が亡くならなければいけなかったのかが理解できない。あんなに見晴らしのいい場所で。どうして車がぶつかるの?自分の中で何故、どうしてという疑問が今更ながらにどんどんどんどん膨らんでいく。
事故については相手側と示談で解決した。叔父がいう「相手にはこれからの人生がある」という言葉を、私は今でも飲み込めずにいる。じゃあ、祖父が生きたであろう人生はどうなるのだろう。もしかすると祖父は長生きして私の成人式を見れたかもしれないし、従兄弟の結婚式を間近で見れたかもしれない。その手にひ孫を抱く事ができたかもしれない。
祖父との思い出は少ないが、私は祖父が大好きだった。畑仕事を終えた後、祖父が運転する車でパートをしている祖母を迎えに行くのが楽しみだった。3人で採れたての野菜でつくるご飯を食べるのが好きだった。もっともっとたくさんの思い出を作れたかもしれないのに、その機会や時間を奪われた悲しみはどこへ持っていけばいいのだろう。
許せないけど、未来を願いたい。矛盾した感情の波が渦巻く
所詮、今更な話だ。十分わかっている。私は祖父の事故というシチュエーションの登場人物となり、被害者の皮を被りたいだけなのかもしれない。馬鹿げた話だ。
ただ、事故のニュースを見る度に私の中にはどす黒い感情がぐるぐると渦巻いていて、叔父のあの言葉を思い出すのだ。あの言葉が鋭い槍となってぶすぶすと突き刺してくる。その度に私は反発したい気持ちでいっぱいになる。
確かに加害者側にも人生がある。過去に出会った人でお子さんが事故を起こしてしまった経験があると話してくれた事があった。怪我をさせてしまった方へ何度も謝罪したと聞く。私はその話を聞いて複雑な気持ちになった。私はその方が大好きだし、お子さんには会ったことがないが示談で済んでよかったなと思った。今は誠実に働いていると聞いて心からよかったね、の一言がでた。私は祖父の一件で相手のことが許せないのに、一方で友人のお子さんの未来がこの先何事も起こらず明るいものであってほしいと願っている。
許せないけど、未来を願いたい、ぐるぐると感情の波が渦巻く。何が正解かは分からない。人によって考え方は違うのだから、全員が納得する答えなんかない。ただ、私は許せない。