実家を初めて出る機会となったのが、海外移住……。これこそが「間違い」のおおもとだったのかもしれない。大学進学を機に、もしくは就職を機に、もしどこかで実家を離れて一人暮らしをしていたら、海外移住は潔く諦めていたかもしれない。

コロナ渦で見つめ直す人生の選択。私の判断は正しかったのか

外国人の彼との結婚を機に、彼の母国へ移住し、約1年が経った。
その半分以上をコロナ禍に見舞われたのは災難としか言いようがないが、自宅で過ごす時間が増え、これまでの人生を振り返ることもしばしばあり、果たして自分は正しい選択をしたのだろうかという思いが沸々と湧き上がってくるようになったのだ。
もちろん移住前から、日本から近くはない国で暮らすことになれば、頻繁に家族や友人と会えないことは理解していた。しかし、コロナウイルスのような感染症が世界的な大流行をみせ、物理的に渡航に制限がかかるとは、想像もできなかった。

そして、今年3月に予定していた日本への一時帰国をコロナウイルスの状況が見えないことを理由にキャンセルしてから、その「間違った選択をしたかもしれない」という思いは日に日に強くなっていった。

もし、移住を決める前やビザ取得の具体的なプロセスに入る前にどこかでこのような感染症の流行のリスクを考えていたら、日本にとどまることを選んだかもしれない、と。
もちろん、今の海外での生活に不満があるわけではない。日本との文化や生活習慣の違いに戸惑うことや驚くことはあるけれども、それでも楽しく生活できている。だからこそ、それを支えてくれている夫には、感謝の気持ちでいっぱいだ。

あのまま日本にいたら…この強い罪悪感は感じなかったのかもしれない

しかしそれでも、両親と会えない時間が長くなるにつれ、「海外移住は間違っていたかもしれない」という思いは弱まることはなかった。
そして、結婚についても違う可能性があったことに思いを馳せる。外国人の彼と付き合っていたため実現はしなかったが、日本人の方と結婚する可能性がなかったとは言い切れなかったからだ。

もし日本人の方と結婚していたら、何か特別なことでもなければ日本で暮らしていただろう。さらに、子どもを持ったり、ときどき子どもの顔を見せに会いにいったり、両親と物理的にも心理的にもほどよい距離感を保っていただろう。
極端に両親を恋しく思ったり、日本に行けず両親に顔を見せに行けないことで強い罪悪感を感じたりすることもなく。きっとそれが「人生の正解」だったのではないかと思うのだ。

そもそも私は、結婚して移住するまで「いい子」で育ってきた。小さなころから周囲の人々から「いい子」「聞き分けがいい子」「親孝行の子」と言われてきたし、反抗期だって思い当たるところがない。そのまま進んでいれば、本当に「正解の」、言い換えれば「間違いのない」人生を送れていたのかもしれない。

これが私の選んだ道。人生は後戻りできないからこそ今を真摯に生きる

しかし、後戻りはできない。
過去に戻って自分がした選択や決断を変えることはできない。そのことを思うとき、「変わらない、変えられない」と絶望感だけになりそうになる。
でも、この先も人生は続く。そのとき、救いとなるのが、「今を真摯に生きる」ということなのではないかと考える。過去は変えられないが、今の行動は自分で選ぶことができるのだから。私の過去の選択はもしかしたら間違いだったのかもしれない。

しかし、その選択ですら応援し支えてくれている両親や夫がいる。そんな人たちのためにも、今を真摯に、ひたむきに生きていくことが大事なのではないかと思う。
今後も葛藤はおそらく一生消えないだろう。事あるごとに振り返っては、ぐだぐだと思い悩むかもしれない。そんなときは、今を真摯に生きる、このことを自分の心の中で唱えたい。きっとそうすることで、人生を「正解」か「間違い」かで二分しようとしている自分に、少しだけストップがかけられるような気がしている。