ベリーショートの髪にメンズファッション。ブラウンのアイシャドウにテラコッタカラーのリップ。これが私のスタイルである。

母からは常に「男みたい」と揶揄われ、祖父母には「遠くで見たら父親と区別できない」と言われた。

不自由なく女子高生活を送っていたが、大学生になったら変わった…

男性になりたいのかと聞かれればその答えは「NO」である。別に男性になりたいわけではない。書類の性別での欄に「女性」と書くことも、女子トイレを使うことにも抵抗はない。
ただ、私は女性でいることを辞めた。

きっかけは何だっただろうか。
高校は、女子校で運動部。毎日毎日、部活に打ち込んだ。女子高生らしい甘酸っぱい恋愛もオシャレをして出かけることも無かった。それでも、何一つ不自由はなかった。女子高という閉鎖的な空間では、女子生徒しかいなくても一つの社会が成立していた。

そして、大学に入学してバイトも始めた。新しく飛び込んだ世界では、容姿や女性らしさが求められ、それらで態度を変えられた。可愛い店員にはデレデレと鼻の下を伸ばし、そうじゃない店員には素っ気ない男性客、可愛い人に擦り寄って仲良くしているところをSNSにあげて、自分の存在価値をあげようとする女友達。今までいた小さな小さなコミュニティには、存在しない価値観だった。

あの頃の私は、自分を「肯定」してあげられなくて、自信がなかった…

私は元々自己肯定感が低く自信がない。自分のことはどうしても好きになれなかった。人間をランクつけするならば、自分はピラミッドの底辺に位置づけられるのだろうと何の疑いもなくそう思い込んでいた。

そんな私は人と対峙する度に「勃たない女が接客してすいません」「『いいね』稼げない女ですいません」と申し訳なさを抱きながら人と接するようになってしまった。外見で評価されることにうんざりした。そんなことを考えるうちに、ピラミッドにも入れない、評価すらもされない位置につけば楽になるのではないかと思うようになった。

そこでたどり着いたのが、女性らしさからの解放、すなわち性別からの解放だった。そして、髪の毛を15cm切った。頭が軽くなったとき、気持ちもフッと軽くなった気がした。

見た目が変わろうが、今までと同じように親切にしてくれる人ばかりだった。今でも「あ~どうせ見た目が良くないから適当にあしらわれている」と思うこともある。ただ、こんな私でも関係なく仲良くしてくれる人を大切にしようという揺らがない決意ができた。逆にいえば、見た目で判断するような人のことなんて気にしなくていいのだと当たり前のことに今更気が付き、少しだけ前向きになれた気がした。

「女を辞めること」は私にとって、たった1つの意思表示なんだ

もしかしたら、これを逃げや僻みだという人もいるかもしれない。“良い評価”をされないのであれば、“良い評価”をもらえるように努力すべきだと。確かに私は弱い人間だしそう言われても仕方がないと思う。

ただ一つだけ言わせてほしい。
「好きでこの格好をしているのだ」と。自分はベリーショートがよく似合う。Tシャツ一枚にしたって、レディースのシルエットよりメンズの方が好みだし、メイクも決してうまくはないけど好きだからする。今まできっかけなどいろいろ言ってきたが、結局は自分がしたいからしているただそれだけなのだ。

だから私は女を辞めた。これは自分に自信がない私にとって、たった一つの意思表示である。

ただ、自分に自信が持てるようになったら。
その時は胸を張って「これが私のアイデンティティだ」と言えるようになりたい。