日常生活にただよう言葉には、聞いていて幸せな気分になったり、嬉しくなったりするもの、人を励ましたりするもある一方で、簡単に人を傷つける残酷なものも溢れている。

私がこのエッセイで取り上げたいのは、「外国人と付き合っている女はブスばっかりだ」という一言だ。

私がその言葉をはじめて目にしたのは、Twitterだったが、さらに調べてみると、とあるテレビ番組で同様の発言をした芸人の方がいたそうだ。そして、番組内では誰も批判せず、むしろ盛り上がっていたという。

言葉にするべきではない言葉。世の中もそれを見過ごしてはいけない。

外国人の夫を持つ私は、面と向かってその言葉を言われたことはないが、「外国人と付き合っている女」の当事者(厳密に言えば現在は“付き合っている女”ではなく“結婚している女”だが、そのような発言をする人にとってはどちらにしても同じだろう)である私は、その言葉を目にしていい気持ちはしなかった。はっきり言って不愉快だった。

そもそも人の顔の作りは人それぞれであるし、たとえ誰かの顔が自分の中の美醜の基準から“美しくない”と判断したとしても、そういう見方をすることやそう思うのは自由だが、あえて言葉にする必要はどこにもないのではないか。心の中に留めておくことはできないのだろうかと思う。

私の夫は外国人だが、彼と付き合う前には日本人と付き合った経験もある。同様に私の夫も私と付き合う前に母国の女性と付き合ったことがある。夫と私はお互いに、○○人だから、という理由で付き合ったのではない。もちろん国際カップルの中には○○人と付き合いたい、と思って恋人同士になった人もいるだろう。それでも、多くのカップルが母国の人を好きになるのと同じような自然な気持ちで、国籍の違う人を好きになっているのではないかと思う。

人の移動が活発になっている現代において、外国人のパートナーを持つことはそれほど特別なことではなくなっている。誰もがその可能性を持っているし、自分でなくとも身近な人が外国人パートナーを持つことだってあるだろう。だからこそ、「外国人と付き合っている女はブスばっかりだ」なんて軽々しく、何の気なしに言うのはやめてほしい。世の中も、そういった発言を見過ごさないでほしい。世の中が、「そんなに目くじら立てなくても」とか、「まあそうだよね」など、受け入れてしまったらその言葉/発言がなくなることはないだろう。

人間は一人一人違う。カテゴリーに収まる必要はない。

そもそも、何も悪いことはしておらず、人様に迷惑をかけていないカップルについて、特にその容姿を関係のない第三者がとやかく言う権利はないのではないか。確かに外国人パートナーを持つ女性、特にそのパートナーがアジア系でない場合はなおさら、目立つから言いやすいのかもしれない。ターゲットにしやすいのかもしれない。しかし、そんな女性たちだって心を持つ一人の人間だ。心無い一言に傷つき、行き場がなくやりきれない思いを抱えている。

また、それ以外に関しても、人をカテゴリーに分け、判断するのは終わりにした方がいいのではないだろうか。私はここで「外国人と付き合っている女性」の例を挙げたが、人をカテゴリーに分けるのが好きな人は、これだけにとどまらず、恐らく「○○人は」、「○○出身の人は」、「○○会社の人は」など、個人を見ようとせず、人をカテゴリーに当てはめて見ることしかできないだろう。それがどれだけナンセンスで、言われた側の人間を深く傷つけるか、自分も含め常に認識し、意識しておかなければならないことだと思う。

人間は一人一人違い、その一人一人が多様な面を持っている。たった一つのカテゴリーに収まる人なんていないのだ。だからこそ、無神経な言葉で多くの人が傷つくのだ。決して人を幸せにしない「ブス」という言葉が、この世からなくなる日が一日でも早く来てほしいと、強く願う。