「貧乳でかわいそう」学生の時によく言われた言葉だ。最初に言われたのは、教室で着替えをしていた中学生の頃だった。

私は美人でもなく、ブスでもない、いたって平凡な顔立ちをしている。それも、あまり印象に残らないタイプのほう。だから「美人だね」「ブスだね」と言われたことはなかった。そんな私が、初めて容姿について他人から言われたことが“胸”だった。

苦しいのに、どうしてブラジャーをつけなきゃいけないんだろう?

私は、胸がとても小さい。AAサイズのブラジャーが用意してあるお店を見ると、その多様性に感動して「B75以上しか置いていないお店の方ー!こちらです!」と声を大にして言いたくなる。

先日、とあるお店に下着を買いに行ったらブラジャーのサイズ基準が変わっていて、なんとA~Cまで同じサイズになっていた。思わず「なめられては困りますね…」と独り言をつぶやいた。そもそも、どうしてブラジャーをつけないといけないんだろう? 汗疹はできるし、苦しいし、ブラジャーをつけたい人だけがつければいいのに…なんて考えも浮かぶ。

ブラジャーをつけているすべての方々にとって、居心地のいいものになりますように…と日々願うばかり。

中学生の頃の話に戻るが、当時の私はその話で笑ってくれる人がいると気づき、むしろ自分でネタにしていた。他に特徴がなかったので「いじられキャラになることで一瞬でも注目を浴びることができるかもしれない」と思ったからだった。ただ、笑ってくれる嬉しさと同時にやってくる「これでいいのか」という気持ちが、いつも私をモヤモヤさせていた。

容姿を馬鹿にされても、私が「自信」持って着れば、どんな服も似合う

時がたち、高校、大学と年齢を重ねるたび容姿に意見する人は少なくなったが、大学生になっても一人だけ私の胸について、定期的に馬鹿にしてくる友人がいた。そんなある日、なんとなくその友人との会話を思い出しながら、一人で大学までの道のりを歩いていた時にふと思った。

「いや、胸、別にいらないな」
そうだ、私は胸が無い方が似合うし、私らしい。服装もレースのついたブラウスを着たい時もあれば、メンズのTシャツを着たい時もある。さまざまでいいし、そうでありたい。そんな自分に一番合うのは、胸が小さいことだなと思った。

それに胸が小さくても、髪の毛で人の印象は大きく変わる。髪をおなか辺りまで伸ばせば、落ち着いた雰囲気に見えるし、バリカンで刈り上げるくらい短くすればすっきりとした印象を与えるだろう。もちろん伸ばすのは時間がかかるので、髪が長い時にすっきりさせたい場合は、髪の毛を一つに束ねればいい。どの性別でもなく、“人”でありたいと思った時には、バッサリ切るようにしている。本当は、一度坊主にしてみたい。

他人のジャッジは要らない!私が望む「自分」になれたらいい。

他人や自分の容姿を笑う人は、この社会にまだまだたくさんいる。他人に口出しする人は、自分が判断をすることで優位に立ちたいのだろうと思っているだろうし、自分の容姿を卑下してしまう人も、そういう人たちによって価値観が塗り固められてしまったのかもしれない。

私の話でいえば、胸の大きさに納得するか、しないかを決めるのは私であって、他人が判断することではない。

とは書いたけれど、私は基本的に人に見られたいと思っている。毎日が違う私であると思っているから。友人と会うときも、前日の夜は「前回は白いワンピースだったから、今回は雰囲気を逆にして黒づくめにしよう」などと、考えながら服を決めている。

服、ピアス、靴に指輪。何を組み合わせたら、今の私が望む私になるのか。考えているだけで心が豊かになる。そこに「何色が合うよ」「もうちょっと大人しいほうがいいんじゃない」なんていう他人の介入はさらさら必要ない。この考えは、私やあなたをとても自由にしてくれると思っている。