わたしは「かわいい」と言われる。
はじめは「足が速い」「字が綺麗」と並んで嬉しい言葉だった。しかし思春期に入り人間関係が複雑になると、「どうやらこれは上手く立ち回らないと、大変なことになるぞ」と思った。
小学校6年生の時だった。いわゆる“クラスの1軍”にいる女の子の好きな子が、わたしのことを好きだという噂が立った。理由は「かわいいから」。謙遜の仕方を知らなかったわたしは、ただただヘラヘラした。すると次の日から、クラスの大半に無視される生活が始まった。「かわいい」は怖い言葉になった。

恋をして、手放したはずの「かわいい」をもう一度抱きしめた

同じことを繰り返さないために、中学では毎日雑なツインテールで登校し、大声で下品に笑うよう自分を変えた。スカートの下から半パンを見えるように履き、教室で走り回っていると、周りからも「黙ってれば、かわいいんだけどね」と冗談を言われるようになった。それが嬉しくてわたしは、言われるたびに変な顔をした。

ツインテールをやめたのは、恋をしてしまったからであった。すでに高校生になっていた。わたしは他人からの「かわいい」におびえながらも、かわいくなりたいと思う自家撞着に陥り、結果下品な行動を慎んで、自分を磨いた。
あっけなく恋には破れたものの、磨いた自分は無駄にはならなかった。スターバックスで始めたアルバイトで、「かわいい」が長所になったのだ。大学にいる4年間接客を続けるうちに、人と話すことが、いや人と話して気持ちよくさせることが楽しくなっていた。そして就職活動をする頃には、容姿も一つの武器だと思うようになっていた。

目標に向かって企画書を書き続けた、なのに、評価されたのは私の笑顔

就職先はラジオの制作会社だった。小学3年生のときに友だちと漫画を描いてから、作品で人を感動させることが夢の仕事だった。
ラジオの中でも特に深夜の番組は、集中して聴く人が多く、聴き手と一体になれる夢の時間だと思っていた。深夜帯は若者を配置する傾向もあり、担当に配属されることを心待ちにした。

しかし同期が次々と深夜につく中、わたしはベテランに混りお昼の番組につき「ガチョーン」や「アジャパー」など、ほかで使う場面はないであろう昭和芸能史を学んでいた。同時に、いつかは回ってくると希望をもって、深夜帯にいくため企画書を書き続けた。

4年目の春、わたしは新規ラジオ局でお昼の番組担当になった。番組を支持するのは主に60歳~80歳だという。
「ガチョーン」が使える!と思いつつも、そろそろ若手でなくなる焦燥感から、この番組にいれた理由を上司に尋ねた。上司は「いつもニコニコしてるから。会社のイメージあげてきてよ」と褒めるかのように言った。
わたしは丸3年働いた挙句、「ニコニコしていること」が仕事として評価された。それは接客で身に付いた笑顔のおかげであり、制作の仕事で得た力ではなかった。

ねえ、お願いだから、どうか私の顔以外を見てください

それから、仕事でもプライベートでもあまり笑わなくなった。自分の評価を顔以外に向けるためには、そうするしかないと思った。
わたしはまた自分を変えるのだろうか。やりたい仕事をするために、今度は笑顔を消すのだろうか。社会人になりツインテールに逃げる勇気もないと、ほかに術が見つからず虚しかった。

笑顔がなくなると面白いくらいに評価はさがり、体調を心配する人もでてきた。しまいには「最近やる気がない」とまで言われる始末。
会社の方針通り、これからもニコニコする仕事をするのか。それは入社したときから、決まっていたのだろうか。
容姿を長所だと思ったことが悪い、というのならどうすれば良かったかを教えてほしい。自分が生まれ持った容姿が、たまたま日本で「かわいい」と言われるものだっただけで、とやかく言われる理由を教えてほしい。
まだわたしは無表情で仕事をしている。せっかくかわいい顔に生まれてきたのにね。漫画を描きながらわたしが無邪気に言う。「かわいい」ことが「足が速い」ことみたいに目立たなくなればいいのにね。