特に女友達と集まると、飲み会中や最後の解散前などに「今日集まれたことに乾杯!」といったノリで、集合写真を撮ることが多い。そのあとLINEで共有され「うわ、自分周りの子と比べると本当にデブだな…」「全然盛れてなさすぎてヤバイ」と自分で思う写真を、みんなに載せていいかの確認をせず、フィルターもかけないで(かけたとしてもなぐさみ程度のもので美肌効果はない)載せる女友達がいる。
「ありのままで可愛い」とかどうでもいいから、はよ消さんかい
先日も、大学卒業後も仲良くしている女友達数名と飲んで2次会に移動中、写真を撮った。全身が写っているその写真は本当にデブだったし、笑って顔が崩れている。一切盛れてなどいない。後になって絶対にその写真をSNSに載せられたくないと思い、先手を打つためにその子のいるLINEグループに送った。「絶対に載せないで」と。
だが私が見逃していただけで、すでにinstagramに写真を載せられていた。でも彼女は「ごめん載せちゃった!」と言うだけで消そうともしない。いや、謝るのはいいから消さんかい!!
とはいえ、「投稿を消せ」などと言うのも、面倒な人間だと思われそうで、「次からはしないで(笑)」と暗に本当に嫌だということを伝えたが、「ありのままで可愛いよ!」という返事が来た。いや、そうじゃない。私はありのままの姿で載せられるのが嫌なんだよ。自分がブスでデブな姿を見て、「うわ、自分デブスだな」と再認識なんてしたくないし、最近会っていない共通の友達や知人から「こいつブスなままじゃん」とか思われたくないんだよ。いや、そこに関しては自意識過剰だっていうことはわかってます。だれも私なんて注力して見ないし、いちいちそんなこと思わないと思うけど。
というか、私ももし他の子が自分自身の写真を見て、「えーこれ盛れてないヤバイ」と言っても、明らかな半目とかじゃなければ、そうか? いつもと変わんねーぞ? と思ってしまうこともある。でも、そうじゃないのだ。自分にとって盛れてなければ盛れてないし、ブスだと思えばブスなのだ。容姿に執着している人間にとって、他人の「ありのままで可愛い」みたいな評価ほどクソみたいなものはないのだ。
彼女はいいやつ、ただ「自分の容姿に絶望した経験」がないだけ
私は正直、どうしてその子が「この表情、載せられたくないかな?」など相手がこれを載せられるとどう思うかを配慮することができないのかがわからなかった。
だって、その子、エステやクリニックにも行ってるし、整形の経験もある。ひと一倍美容が好きなのに…と思ったが、美容が好きな人間には大まかに2種類に分けられることに気づいた。
前者は、単に美容が好きな人。後者も、確かに美容が好きなことには変わりないのだけど、でも前者とは少し違う部分がある。それは過去に容姿をからかわれたり、周りが容姿について褒められているのに自分だけ褒められなくて死にたくなったり、こうなりたいという明確な理想があるのに全然近づけずにもどかしい思いをしたり。そういった経験があり「自分の容姿に対して執着する」人間なのだ。
もちろん、どっちが悪いとかどっちがいいとかはない。ただ、彼女は前者なのだ。もしかしたら私のエッセイに共感した人は彼女について「嫌な女」と思ったかもしれないが、彼女は全然いいやつだし、とにかく明るくて面白い。ただ、前者のため、私のような後者の人間の気持ちについて知らないのだ。
写真は撮りたい。でも、SNSで可愛い子たちと一緒に並びたくない
こんな気持ちを言うと、だいたい「面倒な人間」「自分が痩せて可愛くなればいいじゃん」「そもそも写真に写らなければいいのに」と思う人もいるかもしれないし、自分も正直そう思うこともある。
昔はそこまで自分の容姿に対して執着していなかった。SNSで美容の知識を得たり可愛い子を見ることにより、自分を客観視して恥ずかしくなってしまったのだろう。いわゆる軽い醜形恐怖症のようなものなんだと思う。
ただ、なかなか痩せられないし、思い出は大事だから写真だって一緒に撮りたいは撮りたい。容姿に執着するのも無意味だとわかっている。SNS断ちすればいいのだろうか。