リボンがついたグレンチェックのパンプスに、膝下でふわりと揺れるスカート。サテンリボンのたれたマスクの端は花の形のレースで縁どられていて、トップスに着ているのはパープルのシアーブラウス。今日の私は最高に可愛い。
「可愛い」と認められたくてスクランブル交差点でナンパ待ちをした夜
休日の渋谷に足を運んだら、数年前、金曜夜の渋谷のスクランブル交差点でナンパ待ちをしていた頃のことを思い出した。あなたには価値があるよと誰かに言って欲しくて、声をかけるだけの価値があると思ってもらいたくて、からっぽな心と共にTSUTAYA前に佇んだ夜。私はそんな夜を何度も繰り返して、いつだって違う男から声をかけられた。「このあと時間ある?」「奢るからご飯食べに行こうよ」自分に価値を感じられずに立ち尽くす一人の女を前に、男のかける声は安い。でも、私はそれを欲しがっていたし、彼らはそういうからっぽな女を待ち望んでいただろうから。
誰かが可愛いと言ってくれることを待ち望んで、欲しがって、欲しがって、もっと欲張って、そんな夜を何度も重ねた後、私はナンパ待ちをするのを辞めた。彼らがその先を望むことがあることを知ってしまって、むしろその先を求められることの方が多いのだと分かってしまった。そうならなかったのはたまたま良心のある人としか時間を過ごしていなかったからで、そもそも道で声をかけてくる男は私のことを可愛いと思って声をかけてくれるわけではなかった。それでもナンパ待ちの夜を繰り返すうちに危ない目にあいかけて、わけもわからず警察に飛び込んだ。そんな恐怖を何度か味わってやっと、私はからっぽの夜から足を洗った。
自分の存在価値がわからなくて、空虚なままブランコを漕いだ
誰かに認めてもらいたかった。可愛いという言葉を、誰かからしっかりと向けられたかった。それによって私は私を価値ある存在だと思えてほっとできたし、客観的に見て可愛いという事実が手に入ることが、何よりも重要なことのように思えた。誰かから可愛いと言われることだけが、生きるための免罪符のようにさえ感じていた。
からっぽな夜から足を洗っても相変わらず虚ろなままひとりで帰路についた日、帰り道にある公園に寄った。誰もいない公園でブランコに座り、足を後ろにひきながら考える。私がずっとからっぽな理由、私がずっと誰かからの可愛いを求め続ける理由、私がそうすることでしか自分の存在価値を感じられない理由。そっか私、誰かから可愛いって言ってもらえないと、自分の存在価値を感じられないんだ。でもじゃあそれは、一体どうして。そうやって考えていたら涙が溢れてきて、夜の公園でひとり、ありったけの力をこめてブランコを漕いだ。
私が自分の存在価値を感じられなかった理由は、ずっと他人からのものさしでしか物事を見てこなかったからだった。”自分がどう思うか”なんてずっとよくわからなかったし、他人からなんと言われるか・思われるかがまるで人生の全てのようだった。私がいいと思ったものも他人が悪いといったら悪いのだと、そう私は心から信じ続けていたし、それに疑いを抱くことすらなかった。全ての人がいいということなんて、きっと存在しないのにも関わらず。
それを直そうとか直す必要があるとか、そんなことしばらく思わないでいたけれど、環境ががらりと変わった冬、その気持ちは一瞬にして崩れ去った。そういう考え方でいるとこの先ずっとこの空虚感から抜け出せないのだと、自分が自分を大丈夫だと思えることが自分を守る一番の力になるのだと、そうやっと気付けるきっかけとなったのは、皮肉にも人生で一番落ち込んだ時期だった。通勤電車で涙を流す日が何日も続いた春を経て、仕事を休みながら迎えた夏と秋。自分の中の小さな”こうしたい”を育てて、自分が何にどう感じるのか洗い出して。そうやって見つけた私の姿は、それまで思っていたよりもずっとしゃんとしていた。
お待たせ、私。私は私で大丈夫。あの夜も含めて全部で可愛いから。
私は価値ある存在だ。そう思えるようになるのに、かなり長い時間がかかってしまった。私は私のままで大丈夫だし、私の思う可愛いを詰め込んでいる私は、誰かに言われなくてもちゃんと可愛い。そうやって自分を認められるようになれた事実が、きっと私を可愛くするための何よりの力になってくれる。
一番褒めてもらいたいのは、頑張って自分を認められるようになった私のこと。あれから年も重ねたけれど、私はからっぽな夜を重ねていたあの頃よりも可愛くなれたと思うし、そうやって「頑張ってきた私」が何よりも一番可愛いねって褒めてほしい。私の思う可愛いを詰め込んだ今の私は、そのままで十分価値がある。だからこそ前よりずっと可愛いはずだけど、その可愛さはそこまでの過程含めてだってちょっとだけ知っていて欲しい。
リボンのスカーフで髪を束ねて、愛嬌のあるコメントを交えながら時事ネタを盛り込んだ文面を打ち込む。私は私の思う可愛いを、今日も詰め込みながら一日を始める。