今日は何をしよう。久しぶりに思いつくままに過ごす休日

連日の雨がやみ、突き刺すような日差しとまとわりつくような湿気のある夏の朝だった。
シーツを洗い、布団を干しながら今日の予定を考える。
最近はいつ呼ばれてもいいように、何となく無意識に予定を入れないようにしていたが
これからはそんなことを気にする必要がなくなった。

なにも思いつかなかったので、買ったばかりの新しい服を着て、
デパートで買った化粧品、流行りのヘアオイルで身支度を整えて
エレベーターもない4階建ての古いアパートをでた。あてもなくふらふら歩く。
住宅地ををさまよっていると路地の奥に喫茶店を見つけた。

窓際で紅茶を飲みながら、欠けて剥がれてぼろぼろになった自分の爪を見ると
骨ばった指と相まってずいぶん貧相にみえた。
急遽ネイルサロンを予約した。

途中に立ち寄った店でほしかった財布を見つけた。
以前別の店で完売となっており諦めていたものだった。
「今月は衝動買いが多かったしどうしようかなあ」と頭で考えながら体はもうレジに向かっていた。

時間をかけて作った髪も化粧も30円で買ったボディソープで洗い流す

新しいネイルはつやつやしてピカピカしていて、さっきまで貧相だと思っていた自分の指が特別になった。
嬉しくて写真を撮ろうとしたが、送る相手もいないことに気づき携帯をかばんに入れた。

普段通らない道を歩きながら帰っていると古い銭湯の前で立ち止まる。
私は平成生まれで昭和を知らないが、表通りのネオンとは正反対の、そこだけ時代に取り残されたような銭湯だった。
お風呂の用意など、もちろん何も持っていないがおそるおそる入ると
ぶっきらぼうな番台のおじいさんがタオルを貸してくれ、30円のシャンプーと洗顔を購入した。

「この時間はだれもいないよ」という言葉通り、わたしひとりだった。
普段つかわない銘柄のシャンプーで頭を洗い、顔を洗おうとすると洗顔ではなくボディソープだった。
こらえきれず声を出して笑ってしまった。
メイク落としもないのでそのままボディソープで顔を洗った。
わたしの記憶にある人生の中で、ボディソープで顔を洗ったのは初めてかもしれない。
時間をかけて巻いた髪も、気合を入れてお高い化粧品で作った顔も、
30円ですべて洗い流せることに改めて気づいた。

お風呂上り、スキンケアせず突っ張る肌に感じる夜風と不思議な高揚感

だれもいない湯船。
普段シャワーだけですましているせいか、とても熱く感じた。
我慢して肩までつかると、熱くて涙がでてきた。
わたしは彼氏にふられた。
変わったのはわたしではなく彼の心だった。
会わなくなり返信がこないようになり、宙ぶらりんだった関係には気づいていた。
銭湯の湯舟の音はしゃくりあげながら泣くわたしの声も一緒に排水溝へ流していった。

ふと顔をあげると色あせたタイルに「YOU ARE IN HEAVEN」なんて文字が貼ってある。
あの番台のおじいさんが書いたものなのだろうか。
今度は笑いがとまらなくなり、泣き笑いをしながら熱かったお湯の温度が体になじむ心地よさを感じた。

普段はお風呂上がりのスキンケアを徹底しているが今日はそんなものは持っていない。
しかし何も気にならなかった。
番台のおじいさんにタオルを返しお礼を言うと、ぶっきらぼうに投げられた一言が耳に残った。

ボディソープで洗い、スキンケアもしていない肌が少し突っ張るような気もしたが夜の風が気持ちよかった。
新しいものをたくさん手に入れたときは不思議な高揚感がある。

寝る直前に浮かんだのは彼以外の人。今日から始まる新しいわたし

わたしは変わることがいつも怖かった。
「変わる」ということは「失う」ということだった。
なにも変わってほしくない、変わりたくないというのはわたしの幼稚なエゴである。
わたしを取り巻くすべてを現状維持するのは不可能だと、
ずっとわかっていたのにずっと目をそらしてきた。

「変わる」ということは「始まる」という意味もあるのかもしれない。
わたしが「始めたい」と思ったそれだけなのだけど。

エレベーターもない4階建ての古いアパート。
4階まで階段をあがることには慣れたのはいつか、もう思い出せない。
彼が好きそうだった服をソファに脱ぎすててパジャマに着替えてベッドに入ると
干してふかふかになった布団と柔軟剤のやさしい匂いのするシーツにつつまれる。
「これぞ天国」と思わず出た言葉に自分で笑ってしまった。

寝る直前に頭に浮かんだのは毎晩携帯を握りながら待っていた人ではなく、
ぶっきらぼうなおじいさんの「おやすみ」という言葉だった。
わたしは新しいわたしに変わったのだ。