「お客さん、前もこのくらいの時間にタクシー乗りました?」
深夜2時すぎ、温かいシートと独特の匂いに埋もれていた私の瞼がはっと開いた。はい、そうかもしれません。
「珍しいな、このくらいの時間に・・・と思ってたんです」女の子が、ね。みぞれが降り出した窓の外を眺めながら、運転手さんの言葉に心の中で勝手に付け足すと、そんなことを考える自分のことがまた少し嫌になってまた目を閉じた。

新卒で入社した会社で、営業になった。名刺の肩書はコンサルタント、と響きこそ小洒落ていたけれど、世の中の大方の営業がそうであるように足で稼ぎ、電話でアポをとり、時には手書きのお礼状を書く。そんな昔ながらのスタイルが残っていた。辺鄙な場所にあるオフィスから自宅へ帰る時、ひとりになったらたまにタクシーを使った。

社会人としての初めての環境 スカートは履かなくなった

地元の女子高から大学は過半数が女子の学部へ進み、気がつけばアルバイトやサークル含め、女子の方が周りには多かった。とはいえ、友達の男女比率は半々だったし、男女平等の意識も特に強くなかった。だってそれが、当たり前の環境だったから。自分の足に絡みつく鎖が見え始めたきっかけは、社会人としての初めての環境、配属された職場では男性が圧倒的に多く、同期の入社では自分と同性がいなかったことだ。

しばらくするとスカートは履かなくなった。事務スタッフと間違えられたり、やっぱり女らしい見た目はなめられる、と感じた。クローゼットにはパンツスーツばかりが増えていく。機能的なメリットもあるが、やはり気持ちの面が大きかったように思う。スーツは戦闘服とはよく言ったもので、当時は気合いを入れているつもりだったが、そういった形ある鎧によって自分の外形を留めていたかっただけかもしれない。

何かにつけての『女の子』っていつ言われなくなるだろう

成績で判断されるようになると、思い通りいかないことも増えた。先輩も同期も、自然に出来ていること。頑張れば私にもきっとできる。仕事がうまくいった時、たまにやってくる達成感もずるずると希望を持ち続けてしまった理由かもしれない。私もあんな風に褒められて、表彰される姿を目指すんだ。でも何かにつけての『女の子』っていつ言われなくなるだろう。あのたった1人の女部長くらいの年齢、役職になったら?でも『子』って文字が抜けるだけか。

プラスのことがあれば、女の子だから甘く見てもらってるんだね。マイナスなことがあれば、やっぱり女の子は押しが弱いしダメなんだよなぁ。

じゃあどうすればいい?肝心なことは誰も教えてくれない。どんどん鎖に繋がれた足が重くなる気がする。とにかく、結果を出すしかないのだ。やれば今まで結果は出ていたのに、と心ばかりがあせって身体は取り残されていった。

どっちがいいの?と聞かれると、言葉に出せなくなってしまう

悲しくないのに、電車の中でも止まらない涙、蕁麻疹、過呼吸、しまいにはオフィスの女子トイレで動けなくなっていた。そして、1年後の春には、私は営業ではなくなった。

タクシー配車の電話をしてもなかなか繋がらないあの夜を、もう経験することはないとどこかで確信してホッとしたような、でも思っていた結果が出せなかったことが悔しいような、そんな気持ち。どこかで持ち直せると思っていた希望と自信が打ち砕かれて、けれど落ち着いた生活になったからこそ目を向け始めることができた小さな幸せとか。色々な感情と思考が行ったり来たりする。どっちがいいの?と聞かれると、言葉に出せなくなってしまう。他人から見ると、絶対今の方がいいでしょ!と言われても、あの頃の充実感や女性営業というポジション、珍しいね、すごいね!と言われることへの誇りや優越感も少しは味わっていた自分がいることは確かだ。どれも偽りの私ではなかったと思いたい。

当時の感情は、やっぱり時間が経てば経つほど薄くなっていく。でも、てっぺんを回った針が傾いてきた時間、タクシーの配車電話をかけながら何気なく覗いた窓の外。夕方からチラつき出した雪がしっかり積もった、誰の足跡もない真っ白な光景だけは、今でもたまに思い出す。