私が変えたいこと、それは、男の人のために馬鹿なふりをすべきという風潮である。
「女の子は勉強ができなくても、愛嬌があれば愛される」
私の母も、祖母も、私の周りの年上の女性はみんなそう言ってたような気がする。そんな言葉をまるで救いのように使う同年代の女の子もいた。だけど私は、その言葉は救いなんかじゃなくて、ただの呪いだとしか思えなかった。
女の子は馬鹿であれと、無知なまま黙って男の人の側でただにこにことしていなさい。男の人を立てるために女の子が下でありなさい。と、言われているような気がした。
男の人の前では馬鹿なふりをすることで、自分を防衛した
小賢しい、屁理屈を言うな、女のくせに。無駄にいい大学に行きやがって、女のくせに。可愛げがない。
実際にこんな言葉を投げかけられたことがある。それも、一度や二度ではなく。学んできたこと、努力して大学に入ったこと。男の人だったら評価されるはずのそれが、女性であるというだけで、途端にマイナスになる。必死に培ってきた知識が、重荷になる。
それから私は、男の人の前では馬鹿なふりをすることで、自分を防衛するようになった。努力してきた自分を否定させないために。呪いだと思っていた、「女の子は勉強ができなくても、愛嬌があれば愛される」は事実だったのだ。勉強ができなくても、というより、勉強ができない方が、の方が正しかったが。「モテる女のさしすせそ」を頻繁に使った。さすが、知らなかった、すごい、センスある、そうなんだ。無知なふりをして男性を立てる、こんなフレーズたちがモテるためのテクニックだなんて。使いながら、一方でこんなフレーズに喜ぶ男の人たちを、こんなフレーズで男の人を喜ばせようとする自分を、ひどく憐んだ。
これらは全て男の人の自信のなさを、女の人を下げることによって補っているからだと思えてならない。
男の人を立てるために、馬鹿なふりをしなくて済むように
私は変えたい。と言うよりも、馬鹿なふりをしている女の子の一人として、変わってほしいと強く願っている。男性だとか女性だとかそういうことに関係なく、知識は知識、知性は知性として扱ってもらえるように。性別に関係なく、頭の良さが、努力してきたことが、適切に評価されるように。もう男の人を立てるために、馬鹿なふりをしなくて済むように。
変えたい。何を変えたらいいのかはわからない。社会なのか、男の人なのか、年配の人なのか、それとも全てを変えなくてはならないのか。そしてそれはどうしたら変わるのか。わからない。
女の子だって思う存分学んで良いし、学ぶことを楽しんで良い
これ以上女性だからと黙らされないように、こうしてエッセイという形で伝えようと思った。自分で考えてきたことを、自分の言葉で、自分の力で発信していきたい。そして私の第一歩が、私の言葉が、同じように馬鹿なふりをしている、させられている人に届いて、新しい動きとなれば良い。そして私より年下の子たちがこんな思いをせずにすむように、女の子だって思う存分学んで良いし、学ぶことを楽しんで良いのだと伝えたい。
変えたい。変わってほしい。男の人のために無知なふりをしなくてはならないこの風潮を。