女だからという理由で、私の可能性も将来も全て絶とうとする父親のもとで育った。「勉強するな」「本を読むな」と、親から言われたことがあるだろうか。「女のくせに」「小賢しい」「可愛げがない」そんな言葉から逃げるように、父がいない間に勉強をした。
ノートも本も鉛筆も買ってもらえなかったから、貯めたお小遣いやお年玉で買った。学校では、帰宅時刻のギリギリまで図書館に入り浸った。
自分の好きな道が選べるように、金銭・精神的に自立しようと決めた
母は、それでもまだ先進的な人だった。隠れて私に本を読み聞かせ「あなたは自分の意見を言える人になってほしい」と、私が自分の考えを話すたびに褒めてくれた。
母に父は釣り合わない。早く離婚した方が母のためでもあり私のためでもあると「お願いだから離婚してくれ」と何度も母に訴えた。だけど、母が返すのは決まって「でも、お金が……」。
三姉妹と祖母を養っていくのは、母一人の給料では難しかった。いない方がましな父親でも、いなくては生活が成り立たなかった。母は分かっていた。姉も分かっていた。だから、父には逆らわなかった。
姉は、特に何の文句も言われないように平均点をとって、ごく平凡に。そして、父の発言に差別の色が見え隠れしても、何も言わなかった。
だけど、私はそんな器用なことができなかった。間違っていることは正したい。正せないのなら、間違った暴論で私の未来を奪おうとするのなら、離れたい。
「男の人に頼らず生きていけるようになりたい」と、小学生の私の目標だった。金銭的にも、精神的にも自立したい。自分の好きな道が選べるように。
自立すためには学が必要。だから私は、大学へ行くために働いている
あれから10年。今の私を見て、小学生の私はどう思うだろうか。自立するために、貧困のスパイラルから抜け出すためには、学が必要だった。大学に行くためには、お金が必要だった。
小学生の私に「勉強するな」と怒るような父だ、もちろん何の援助もしてくれるはずもなく、私は一切親に頼れない状況で大学生になった。アルバイト禁止の高校で隠れて必死に貯めたお金は、受験料と入学金だけで消えた。
授業料納入の日は迫り、私に残された道は一つだった。夜職。高校を卒業してすぐ、私は大学に通いながら夜職を始めた。
男の人に媚を売り、女性軽視も物として消費される悔しさも飲み込んで笑う。ここで騒いでる男の人たちは、父みたいだと思った。言い返してやりたかった。「あなたたちは性別のおかげで下駄を履かせてもらっているだけ」「あなたたちは間違っている」そう言いたかった。だけど、何も言えず、やはり微笑むだけだった。そして、甘えた。お金が必要だったから。
小学生の私が「今の私」を見て、どう思うのだろうか?
男の人に頼らず生きていきたいのに、そのために男の人に頼らなくちゃいけない。
悔しかった。あの時の母も本当はこんな気持ちだったのか。自身のプライドよりも、生きることを優先しなくてはならない屈辱。
小学生の私が今の私を見て、どう思うのだろうか。私は、あの時の私が望んだ将来を歩めているのだろうか。
「将来のもっと大きな幸せのため」「将来の自立のための、一時的な我慢にすぎない」そういって、私はこの矛盾も葛藤も屈辱も全部、見ないふりをして微笑む。今夜も、男の人の隣で。男の人に甘えながら。