正直、この文章は攻めた内容だったので今も葛藤の最中にいる、というのが本心だ。
まとまっていないものを表現することには抵抗しか感じないが、例えるならまだにがりが加わっていない豆乳のような柔軟な考えとして、どっちつかずの"現在進行形"な感情で自分の試行錯誤を今回は見守ってあげたいと思う。聞こえはいいが、これも立派な矛盾である。
激しい気持ちの変化に翻弄される毎日の中で、頭に浮かぶものを持論で展開していても、行きつく先は自分が納得出来るぬるい結論だけ。異論なしの状態で、いつも集まる仲間内の感情と接していても意味がないので、再認識を放棄させてしまう元凶を精査していく必要性があるように感じた。
前置きはこのくらいにして、書くきっかけとして思い浮かんだものを紹介したい。
とにかく昔からナメられて。学歴や経歴からも不快な思いをするように
とにかく昔からナメられることが多かった。小学生だった私は体も小さく弱々しい内向的な性格だったので、今で言う"陰キャ"に振り分けられるような根暗で猫背な少女だった。なので、ドッジボールでは格好の餌食になっていたり、不登校を経験していたことから噂好きな下級生からの嫌がらせもあった。年下に全校集会中に技をかけられは、包帯に覆われた腕で担任と一緒に謝罪を乞いに行ったことは今だからネタになるが、嫌悪感にも襲われる苦い体験だった。
最初は表面的なことで苦しんでいたが、それが段々と自分の内部にも不穏な空気が波及していく。
持病の為、高校を中退している私の最終学歴は言ってしまえば中卒になる。
この経歴に対する風当たりを少しは理解していたからこそ、補足できる情報だけでも欲しい、と藁にも縋る思いで、高卒認定試験という高卒者でなくても進学が可能で同等の学力があることを証明できるという資格取得に向けて、高校在籍中に勉強を始めた。今後、必要になるであろう履歴書の学歴や資格欄に合格の旨を書けるということもあり、「少しは変わるかもしれない」と一縷の望みとは相反して、何も変わらない不安な衝動に駆られながらもひたすら机に向かっていた。
その時は他に選択肢がなく適当な判断であったことに変わりはないが、この事実が後々自分の首を絞めることになろうとは、当時の私は知る由もなかった。
全てが無意味なものだと沈められる、言葉の威力を思い知らされた面接
時が経ち、めげずに踏ん張った結果が合格という形になり賞状を手にした時は、泣きながら苦手科目を解いた自分を懐古すると共に、うわべだけだった自信をやっと良質なものに変えられた実感があり嬉しかった。
しかし、履歴書に記載できた時の心軽やかな感情とは裏腹に資格に費やした時間や労力が逆に自分を追い詰めることになってしまった。
新年度、桜にも少しずつ緑が帯びてきた頃に行ったアルバイトの雇用面接での一幕。
緊張の中、質疑応答の際に持参した書類にさらっと目を通された時のこと。年齢と相まったのか「進学や就職は?」と尋ねられ、持病のことを含む背景を語れる場面ではなかったので、「ゆっくりと…」と言葉を選んだ返答しか出来なかった。すると「いつまでも親に養ってもらってそれを変える気もないのね」と一蹴された。
良かれと思って取得した資格だった。
確かにこれから受験に臨む人や、合格して人生が花開いた経験者を含む、その「界隈」では合格は一味違う栄光なのかもしれない。
しかし、おめでたい考えで立場に甘んじていた自分とは違い、世間の視線はこんなにも冷めているのか。洗礼のような隔たりを身をもって体感した。高校中退者が逆にマイナーな経歴だと認知される現実。自分の極端な思考と、実際起こった反応。その双方の齟齬に苦しみながら増幅された感情は自身が持つ処理能力ではどうにもならなかった。
要するに、私には驕りがあったのかもしれない。安定感がある居心地に味を占めて、ぬるま湯に浸りながら社会に出れば見向きもされない、ただの過去に縋っていただけだとしたら。
恥ずかしい気持ちをどうにか払拭したくて、気持ちを紛らわそうと極限まで自尊心をそぎ落とすのは、かなり辛かった。
最寄り駅を降りた途端に涙がこぼれ霞んで見えない目の前の視界はまるで、道が開くこともなく輝きすら見えない自分の未来を悟っているようにも思えた。
事あるたびに葛藤する。学歴コンプレックスと向き合うのは勇気がいる
それからというもの、証書を引っ張り出しては自信に繋がった喜ばしさが前面に出てこようとするが、健全な思いも虚しく対峙の決闘に勝ったマイナスな感情ばかりが蔓延ってしまい、頭の中でループする言葉に踊らされ、資格の成す意味など考えても仕方のないことで一喜一憂する日々。次第に自分を見失い、何者にもなりきれずどこにも属することが出来ていない侘しさにも苛まれた。
当時の悲哀に満ちたツイートからも、まさに"豆腐に鎹"という言葉がもってこいな状態だっただろう。
忘れることはないが、付き合いながら成仏を模索していくのが賢明な判断だとしたら、事の発端から今に至るまでのこの経験は何歩か譲ればいい勉強だったと感じる。深く考えない選択をあえてすることで、丁度いい塩梅で物事と接する大切さを知れた。
感謝はしないが、他者の対応に見合った自分の在り方や一方的な意見より、なるべく多角的な視点で物事を捉えようと意識するようにもなったので、収穫と思おう。
少なからず偏見がある中で、パソコンのキーボードを弾く時間は苦痛で、二度と経験したくない不要とも取れる傷つきがどこに転がっているのか分からないのは単純に恐怖でしかない。
何者にもなれず、何も変えられない無力な私に出来ることがあるかは分からないが、理不尽な悔しさで唇を噛む思いをし、生きづらさを抱えている人に少しでも届けば嬉しい。
無意識に傷つけ、否定してくる人がいるのなら
「私は飴じゃない。ナメようと口に含んだのなら、溶けてたまるか」
…なんて強気なことを今はまだ言えないけど、この脆さと共に伝わってほしい。
何を言われても
「決して無駄ではなかった」
その勇敢な気持ちを私含め、称えたかった。