目の前が真っ暗でも絶望に包まれても。「生きる」を辞められない

最初に、私は東京でアイドルをやっている。最近よく聞く「地下アイドル」というやつだ。

そんな私は度々人生を諦めようとしてしまう。

今の今まで生きているのはきっと私自身がそれをどうしても辞められない理由があるからだと思う。

まず何故私が終えることを選ばないのか。いや、選べないのか。生きたいからだ。
あれだけ目の前が真っ暗になっても絶望に包まれても生きることが辞められない。おかしい。

そもそも「死にたい」という言葉は生きたい人の口からしか出ないと思う。
生きることが苦しい人はそこに至るまでの経緯で錯乱してしまったり、本来大切にするべき自分を見失いそういう言葉を口からは出せずにその気持ちを知られる前にソレを選んでしまう気がする。

なので私は自傷という行為をしてしまうことに対して見えない闇や、放出できない悩みを発散するひとつの方法だと考えているし止められるものだとも思っていない。この行為を推奨したり勧めている訳でも無い。
よく「そんなくだらねぇ事すんな」「構ってちゃん」「気持ち悪い」という言葉を投げられるのでそういった"傷"に触れたことない人やこの行為をしてる人に対して否定的な考えを持ってる人に理解とまでは言わないが色んな人が存在することを知って欲しいとは思う。

傍観者からしたらくだらねぇ気持ち悪い構ってちゃん、だとしても当事者からしたらどうしたらいいか分からない捨て場のない感情であり事件なのだ。その気持ちが十分に理解出来るからこそ私は自分を傷付けるほどの事件が起きた時、他のことで発散出来るならそっちを選んで欲しいし自分を愛せる術を見つけて生きて欲しいと切に願う。

別に弱くても、逃げてもいい。後ろや下を向いて歩くことのも悪くない

生きる上で別に弱くたっていいし逃げてもいい。他人の言葉で自分の首に手をかけるくらいなら後ろや下を向いて歩くことだって全然悪くない。そう歩いても見えるものは沢山ある。

つまり、「死にたい」は「生きたい」だし「生きたい」も「生きたい」なのだ。

どうしようもない程の脱力と疲労感、日が昇るとは思えない未来が今を生きることを邪魔して人生の終了をこれから選ぼうとする人や水中にいるように息苦しい思いをしながら生きてる人も絶対いるはずだ。

そういった人の生きられる場所を作りたくて私はアイドルを始めた。キラキラした世界に憧れや夢を抱きアイドルを目指していた訳では無く、最初から病める時も健やかなる時も楽しいと思ってもらえるような空間を作りたいと思いこの世界に踏み出したのがきっかけである。

そんな私が自傷行為を繰り返し行い、時には人生を諦め生の営みを辞めようとしてしまう。なんという矛盾だろう。人の人生に手を出そうとしている本人が実はそのような人間だったとは。でもそんな人間だからこそ他人に寄り添って生きていきたいと思えた。綺麗事でこんなことが言えるほど大人でもなければ何も知らない綺麗な目をした子供でもない。若干大人に成長した私の本心だ。もちろんこんなに不安定な私であるからいつか誰にも言わず消えてしまうかもしれない。

自分が自分をわかってないのに続けていいのか、そんな葛藤もある。だが葛藤する程一生懸命になれるって素敵だし何回でも経験していいものだとも思う。

精一杯生きると誓った私は、生まれ変わっても、替えのきかない私

私はまだ生きたい。アイドルとしても人間としても。

ブスだと言われても歌が下手だと言われても私を生きる希望として見てくれる人がいる限り私は死なない。

残念ながら人生を諦めたいと思うことのある私でも死なないのだ。死ねないのだ。

やっぱり生きててよかった。そう思える日が来るまで生命を続けようと思う。

気が付けばこれまで沢山の矛盾を生み出し、過去の自分を消去するか悩んでいたように感じる。

生まれ変わっても私は私。替えのきかない存在なのは当たり前だ。

そう分かっていても未来の私はきっとまた過去の私を消し去るか悩むだろうと感じそんな風に思う日が来ないよう日々精一杯生きようと誓った。