ブスにも色々な種類があって、ブス過ぎると「ブスと言えない」「中途半端なブスには『ブス』と言うとリアルだから言えない」など、一見優しいような酷いような意見もある。
言えなくてもブスだなあって態度で表す人とか。言わなくてもブスだと思われてる事は伝わる、余計に惨めになり、卑屈になり、自ら見下されに行く。
たまにブスでも自己肯定が高く、イケメンの彼氏がいたり、キャリアウーマンだったりする。それを見て「なんでブスのくせに」「ブスとしてわきまえていないのか」と批判する人もいる。世の中、色んな人がいる。
自分の将来まで犠牲にして「私は貴方より下の人間」とプレゼンしてた
学生時代から、自然にブスとしてわきまえた生き方をしてきたつもりだ。男とは、なるべく話さない。なぜなら、うっかり話をしたその彼が、クラスの誰かの好きな男の子だったりする場合があるからだ。話をしただけで、なんて大袈裟なと思うかもしれない。
だが狭い世界の中、しかもそれがブスとなると標的になるに違いない。それを関係ないと思えるほど、自分の心は強くなかった。
直接ブスという言葉を使わずに、いかに自分が可愛くない人間であること、がさつであることをアピールするのだ。時にはテストの点までも下げ、私は貴方より下の人間です、敵ではありませんと必死にプレゼンをしていた。
自分の将来までもを犠牲にした。自分の将来など、大切にする価値がないからだ。おかげでいじめられる事はなく、学生生活を無事に終えた。今でも連絡をとる友達はいない。
初めての恋人から言われた言葉に傷ついた。同時に納得した…
20歳を超えて、初めて恋人ができた。それなりに楽しかった。でも、ある日なんの前置きもなく「〇〇さんよりはそりゃあブスだけど、貴方の方が話しやすいし、好きだよ」と言われた。
なんの悪気もなく、もしかしたら照れ隠しのつもりだったのかもしれないが、私は少し傷ついた。同時に納得した。なぜこの人は、私のようなブスと付き合っているのだろうかと思っていた。
私を見下す事で優越感に浸っていたのだ。それならば辻褄があう。きっとこの延長線上にあるのが結婚で、私にとって結婚は、無料家政婦・無料風俗嬢という奴隷制度になるのだろうなと悟った。その夜に別れようとメッセージを送った。
恋人を作る作らないは自分の選択でできるが、髪の毛を切るのは素人には難しい。必然的に美容院に行かなければならなくなる。
私のようなブスにとって、美容院は処刑場である。少しでもおしゃれなところへ行けば、ブスのくせにこんなところに来てと馬鹿にされる。自分で切ったら変人扱いされる。どちらを選んでも地獄なのだ。
抜け出したいのに抜け出せない、変わりたいのに変われない…
なによりも、ブスを言い訳に何もしない自分が嫌になり、それと同時にこうなったのは、周りのせいだと文句を垂れるという波が交互に押し寄せ、精神が不安定なループに陥る。
抜け出したいのに抜け出せない、変わりたいのに変われない。本当は、自分がどうしたいのかがわからなくなる。いや、わかろうとしない。楽な現実から目を背けたくて仕方がない、だから考えるのをやめ、卑屈に生きていく。それしか方法がないと思い込む。もしくはこれが幸せなんだと思い込む事で自分を守って生きている。
「これから変えていきたい」と何百回も何千回も思った、でも変われなかった。ブスである事に一番ホッとしているのは、自分なのかもしれない。