私はXジェンダーでパンセクシュアルです。幼少期より、女性であって男性であり(両性)、女性と男性の中間地点にいたり(中性)、女性と男性の間を揺れ動く(不定性)という性自認であり、好きになるのに相手の性別は関係がない(今なら説明できますが、当時パンセクシュアルが一般的ではなかったのもあってうまく説明できませんでした)という性的指向です。自分の性別に違和感を感じてはいたのですが、家庭が崩壊しており、思春期に深く悩めないような環境でした。

そんな中、LGBTパレードがあると知り、18歳の時、初めて参加しました。当時まだXジェンダーは一般的ではなかったですが、Xジェンダーという言葉があることは知っていました。私は、トランスジェンダーなんだろうけど自分の性別をはっきりXジェンダーだと説明できるような精神状態ではなく(当時、Xジェンダーに不定性や両性や中性や無性という言葉が含まれていることを知らなかったし、そんな説明はどこにも書いてなかったと思います)、パレードでバイセクシュアルとも言えない、性別といってもそこまで自分の体に嫌悪感はないからトランスジェンダーとも言い切れなくて…孤立しているような感覚になりました。

そのような自分の状態を、誰にも打ち明けたり相談したこともなかったし、周りに誰も共感できるような人もいなかったのもあり、私は社会的に女性を演じて生きなくてはならない、そうしないと社会の輪に入れないという強迫観念にも似た決意をしました。

10年間、自分とは違う性自認を演じて…

そこから昨年まで10年間女性を演じていました。正直気が狂いそうでした。自分が気が狂いそうだったと今ならわかりますがその当時はわかりませんでした。
自分自身が性別二元制のジェンダー規範の外側にいる認識なのに、女性の体を持って生まれたら女性になるためによくわからないジェンダー規範というルールに則って普通の女性にならないといけないことがすごく苦痛でした。

女性が女性らしい装飾をするのは当たり前、そんな社会通念がある上にジェンダー規範の外側にいる人間なんて社会は許さないので、持って生まれた体のジェンダー規範に則るしかない状態です。なので、社会的に受け入れられていない性自認を隠さなくては生きていけない、女性の体を持って生まれたら「女性」になるように努力しなければ社会に居場所はない、そう思い込んでいました。

私は装飾自体は好きですが、普通の女性らしく装飾するという条件がつくとつらいです。今の社会は、女性=女性らしい装飾は絶対必須のように感じます。
私は、社会に受け入れられる普通の女性に見えるように、化粧も女性らしく、でも職場に合わせて派手すぎないようにしたり、服装も、とにかくコンサバに、目立たないように、普通の女性に見えるように、常に意識しました。自分では普通の女性らしいコーデは難しいので他人に助言を求めますが、そもそも着たい服ではないのですぐ飽きるというか、無理が出ます。お金も相当かかって薄給だったのですごく苦労しましたし、時間も手間もかかります。
狂いそうになりながら普通の女性を演じて生きるなんてもう二度とやりたくないです。

男性の服を着てみたら

もうそんな生活に疲れ果てている自分に気づいて、Xジェンダーとして生きることにしました。ジェンダーニュートラルに、自分の中だけでも自分の性に正直に生きようと、女性の服も好きではあったけど、男性の服も着てみようと思い着てみました。自分としてはしっくりきたし、動きやすいし大満足。
あるとき、男性用として販売されているパンツを購入しました。その商品ラインには、類似の女性用の服はなかったのですが、男性用のパンツの右ポケットに手を入れると、なんとコインポケットがありました。

私は、「え!合理的~~!!!」と驚き、感動しました。でもしばらくして、あれ、この機能は女性用の服には一切なかったな、と気づきました。
量販店で女性の服として売られている服と男性の服として売られている服の類似している商品を比べると明らかに、女性の服に利便性がそぎ落とされ、装飾性が足されていることが多いのです。
これは男性に合理性を、女性に装飾性という美しさを押しつけていませんか。

ジェンダー規範に縛られる社会は息苦しい

私は、Xジェンダーとして、あらゆる洋服の装飾性も合理性も愛しています。
男性用、女性用に関わらず、好きなデザインの服を着たい。

でもそれは社会通念で許されていないと感じます。

息苦しくないですか。
私はたまたま体が女性なので女性らしく振舞う努力が必要でしたが、私がたまたま男性として生まれたとしても男性として生きる努力が必要だったということです。

日本の社会は、ジェンダー規範の押し付けが激しすぎると思いませんか。男性性と女性性に締め付けられていませんか。
女性、といえば、装飾性を押し付けられ、着飾り、美しくなければ生きていけず選ばれるのを待っている生き物のように描かれていますし、男性、といえば、合理性を押し付けられ、攻撃的で、強くならなければ生きていけず何かを選び勝ち取る生き物であるかのようです。

人間らしく生きる、多様性を認めることはできませんか。
女性に装飾性を、男性に合理性を押し付けることしかできませんか。

自分の中だけジェンダーニュートラルに、なんて言わせないでほしい。
社会の中で、普通に、ジェンダーニュートラルな「人間」でいさせてほしい。

そんな息苦しい社会をやめにしたい、ジェンダー規範なんかぶっ壊したいと思います。

女性も男性も、あるがままの性と自分自身で生きる社会にしたいです。
女性が合理性を求めるのはおかしいこと、男性が装飾性を求めるのはおかしいこと、そんな風潮を変えたいです。

服だけじゃない、靴も髪型も、性別に縛られた社会通念が多すぎます。
生き苦しいジェンダー規範を、私は変えたいです。