“キャリアアップ”とか、“自己啓発”という言葉が嫌いだった。

いや、今でも嫌いだけど、だいぶマシになった。その言葉から感じるギラギラしたエネルギーを、受け流せるようになった。

「ポジティブ」に捉えようとするほど、悪い方へと考えてしまっていた

これらの言葉のことを最初に「嫌いだ」と思ったのは、2年ほど前に会社でキャリアアップ研修を受けたときだ。「5年、10年後にどんな自分になっていたいかを想像して」と言われても、何も浮かばなかった。目の前のことに必死で、仕事をするために生活をして、生活をするために仕事をしていた。

「嫌なことや辛いことがあったとき、考え方を変えて前向きに受け止めましょう!失敗は成長のチャンスです!」と言われても、素直に「そうしよう」と思えなかった。「前向きに自己肯定感を高めて」と言われれば、言われるほど「ネガティブなお前は、ダメな奴だ」と言われている気がして辛かった。

そのとき、“ポジティブアレルギー”だと思った。ポジティブに捉えようとすればするほど、逆に悪い方へ悪い方へと考えてしまう。「わたしに生きている価値なんてない。5年後?10年後?明日には死にたいくらいなのに、そんな先のこと考えられない」そう思っていた。

それなのに、わたしは中途半端に小賢しいから、“この研修で求められていること”がわかってしまって「5年後には後輩の指導を任せて貰えるような人材になりたいです」「初めての仕事に取り組むときは不安になりますが、成長する機会だと捉えるようにします」とか、心にもないことを口にした。本心を嘘で塗り固めるようで、余計に辛くなった。

超ネガティブだった自分だけど、すぐにポジティブにならなくていい

今思えば、あの頃は周りに頼れる存在もいなくて、貯金も少なく毎日毎日不安を感じていた。入社したばかりで会社にも馴染めていなくて、“この会社に自分がいる意味”を見出せなかった。

学生の頃に学んだ“マズローの5段階欲求”のうちの、下から2段目とか3段目あたりの“安全欲求”とか“社会的欲求”が満たされていないのに、1番上の“自己実現の欲求”を持つように求められていたのだ。土台がぐらぐらのピラミッドじゃ、上に何も乗らないよ。

2年間で少しずつお金を貯めて、急に職を失ったり病気になったりしても、まあしばらくは生きていけるだろうと思えるくらいの貯蓄ができた。職場での役割も増えたし、幸いなことに頼れる友人にも恵まれた。そして、ときどき書いているブログや『かがみよかがみ』に投稿したエッセイを、褒めてくれる方にも巡り合えた。

そんな幸運のおかげで、今やっと“この先どう生きたいか?”、“自分がしたいこととは何か?”を考えることができるようになってきた。相変わらず会社の勧めでしかキャリアアップ研修は受けないけれど、前ほど苦痛ではなくなった。あんなに超ネガティブだった自分でも今まで生きてくることができたんだから、今すぐポジティブにならなくても大丈夫だと思えるようになった。

無理にネガティブな自分を改めるよりも「私らしい方法」がある

あの頃の「わたしはポジティブアレルギーだ」と思っていた自分に言いたいこと、それは「ネガティブでも大丈夫だ」ということだ。

無理にポジティブにならなくても、いつかポジティブシンキングが苦ではなくなるときがくるかもしれないから。そのときのために、苦痛じゃない程度に「ポジティブな人ってこんなこと考えてるのかぁ」って知っておくのは良いかもしれないけれど。

あとは、安心できるくらいお金を貯めて、自分の居場所を作るために家族や友人や職場の人に思いやりを持つこと。

無理にネガティブな自分を改めるよりも、“安心安全”や“社会的帰属”を満たす方が、自己肯定感アップの近道かもしれない。“ポジティブアレルギー”を少しだけ克服した今、この数年を振り返って、そう考えている。