推しが出演しているラジオを聴きながら、彼の声に包まれてうつらうつらするとき。何気なく寝返りを打った先のシーツが冷たくて、一気に意識が冴えてしまった。

私の日常を以前よりも鮮やかに色付けてくれる「推し」の存在

最近、初めて男性アイドルの推しというものができた。彼の存在は、確実に私の日常を以前よりも鮮やかに色付けてくれた。SNSで日々更新される、雑誌のメイキング、テレビへの出演情報、オフショット…。公式ファンクラブのブログやラジオ、その他諸々、挙げ出したらキリがないほど、アイドルの活動は多岐にわたる。ましてや新曲の発売直前になると、溢れる情報の渦!一日分の推しを追うだけでも、膨大な時間がかかる。ファンの方々の考察に唸り、誰かがまとめてくれた“推しのカワイイ映像集”とかに悶え、GIF化された推しの色気に悩殺され…なんてことをやっていると、携帯を片手に、気づけば3時間近く経っていたなんてこともざらである。

ふと暗くなった画面に映るにやけた自分の気持ち悪さにも、だいぶ慣れてきた今日この頃に至っては、推しがいる歴=年齢と自負する友人の「推しがいれば、男はいらん!」発言にも、首が取れるほど頷きたくなってしまうくらいだ。

しかし、ここで冒頭へと戻る。耳元で響く推しの声に確かな幸福感を感じていたのに、現実は容赦無く私の眠気を奪ったのだ。ベッドの上には私しかいなくて、冷たいシーツに誰かの体温が灯ることはない。推しは、あくまでも画面の向こうの人である。そんな当たり前の大前提である事実を、突きつけられたような気持ちになってしまったことによって。

そのとき「男は…いや、恋人はいる」と思った。

私の「心の隙間」は、推しによって埋めることは決してできない…

寂しい夜やどうしようもなく胸が押しつぶされそうな気分になった時には、やっぱり隣で抱きしめてくれる存在が欲しい。人の体温というのは魔法のようなもので、それに触れただけで不思議と心が温かくなったりするものだ。

そうして満たされる心の隙間を、推しによって埋めることは決してできない。そう気づいた夜中の3時の絶望感は途方もなかった。なにせ私は、彼氏いない歴=年齢なのだ。このなんとも言えない遣る瀬無さや鬱々とした気持ちを抱えた夜を、これからもずっと一人で過ごすことになるのだろうか。そう考えて、本気で泣きたくなった。

推しは家族でも友人でもなく、ましてや恋人でもない。いうなれば、完全に他人である。そんな推しとファンとの関係というのは、なんと不思議なものなのだろうか。友人や家族に頼るほどではないが、なんとなく心に暗雲が立ち込める。そんな時、私は推しにずいぶん助けてもらった。

実際、推しの存在が生きがいとなっている人だってたくさんいるだろう。命を助けてもらったという人がいるけれど、それは決して大げさなんかではなく、本当にその通りなのだろうなと思う。だって、彼ら・彼女らにはそれくらいのパワーがある。

推しの存在は、ファンにとって「かけがえのないもの」であること

推しに対する愛というのは、人それぞれだ。純粋にアイドルとしての姿を応援したいと思う人もいれば、自分の子供のように成長を見守りたいと願う人もいる。あるいは、ガチでリアルに恋をしていて、推しと付き合うところを想像して胸がときめかせている人もいるだろうし、ひたすら尊敬の念を抱き憧れのような存在として見ている人もいるだろう。

そして、どんな愛し方であっても、彼ら・彼女らの存在が私たちファンにとってかけがえのないものであることに変わりはない。いつどんな時も、とはいかなくても、推しは私たちの人生のあらゆる場面で、あらゆる形に姿を変えて、私たちに色々な感情を与えてくれる。

推しは、どこまで私を救えるのか。それはきっと、私たちの心情やタイミングによっても大きく左右されるのだろう。だからあと少しだけ、彼に頼ることを、現実から目を背けることを、自分に許してあげようと思う。