先日、大学で開催されたオンラインシンポジウム「ジェンダーを巡り変化するメディア」に参加させて頂きました。今まで、他の人の抱えている個人のジェンダーに対する考えを聞く機会がなかったので、とても貴重な体験となりました。そんな様々な意見を聞く体験の中で、私は自分自身が抱えているジェンダーへの「もやもや」を文章化してみたいと思い、今この文章を書いています。

先生に「良いお嫁さんになれるね」と言われ「もやもや」

私は、テレビや本などを通じて感じる世間の風潮として、女性の幸せのゴールは、結婚であるかように描かれていることに疑問を感じていました。母親を見ていると、結婚生活はそんな幸せなもののようには感じることが出来なかったからです。もちろん、少女漫画に描かれているような恋愛を否定するつもりはありません。むしろ、そんな素敵なお話のような恋愛が出来たらよいなと思ったこともあります。でも、守ってもらい、家庭に入るだけが女性の幸せではないとずっと感じてきました。

私は中高一貫の女子校に通っていたので、あまりジェンダーの差について学校生活の中で考えることはありませんでした。ただ、高校2年生の時、授業の後に率先して黒板を消すことや、掃除などをした時に、男の先生に「良いお嫁さんになれるね」と言われたのは、ずっと「もやもや」していました。

クラスの多くの子が結婚することを当たり前のように捉えていた

その時から、テレビや漫画などで、料理や掃除などの家事能力が高い女の子を「良いお嫁さんになる」などと言って褒め、女の子がそれに対してキュンとするといった場面に違和感があると思うようになりました。もちろん、その先生はジェンダー差別をしようなどという思惑があったわけではなく、ただ、ステレオタイプの褒め言葉を使っただけだったのだと思います。それでも、「『どうして良いお嫁さんになる』ことが褒め言葉になるの?」とずっと思ってきました。

また、その時、「私は結婚する気はありません」と、咄嗟に答えてしまったのですが、そんな風に答えた自分に、自分が一番びっくりしていました。そんなことを思っているとまったく気づいていなかったからです。現在では、私が嫌なのは結婚することではなく、女性が一方的に家庭に入り、家事に従事する割合が高くなることなのだという結論に落ち着きました。しかし、当時はそこまで自分の考えを明確にできていなかったので、「なんであんなことを言ってしまったのだろう」とずっと考えていました。同時に、同級生に「え?なんで結婚したくないの?」と問われたこともショックでした。クラスの多くの子が結婚することを当たり前のように捉えていたからです。これらの一連の出来事は、私のジェンダー問題に興味を持った出発点であり、はじめて「もやもや」を感じた瞬間です。

まず、私たちが抱えている「もやもや」を口に出すことが大切なのでは

それから、私はどうして「良いお嫁さんになるね」が誉め言葉になってしまうのか考えるようになりました。そこで気が付いたのは、女児や中高生向けのマンガは、それこそ「良いお嫁さんになる」が褒め言葉となるようなステレオタイプの男女観を前提とした作品が多いという事です。最近のヤングレディースもしくはレディースコミックなどでは、女性の自立をテーマにした作品がとても増えてきており、テレビでも女性起業家や、研究者でも、様々な分野で活躍している女性を紹介することが多くなってきたように感じます。

しかし、思想を自分で持つことが出来ないような子どもが最初に触れるような作品が、女性が家庭に入ることが暗黙の了解となるような価値観の作品のうちは、私のこの「もやもや」は解消されないと思います。子どものうちから、男女の差別なく接することが当たり前になれれば、今の多くの女性が抱えている「もやもや」が少し、解消されるのではないでしょうか?私は、「私は結婚する気はありません」と、咄嗟に答えてしまったことで、自分の抱えていた「もやもや」と向き合うことが出来ました。なので、まず、私たちが抱えている「もやもや」を口に出すことが大切なのではないでしょうか?