私がよく使う駅で、また誰かが線路に身を投げた。

11月の午前6時は、まだ暗くて肌寒い。そんな中、行きたくもない会社や学校に、無理やりスーツや制服を着てなんとか向かう。駅までの足取りは重く、電車に乗ってしまえば後は会社や学校へ向かうほかない。「もう無理だ」心の声がそう呟いて、気づけば身体は大きな鉄の塊に吸い寄せられバラバラになってしまった。

この国には、事後対応制度はあるが「未然に防ぐ制度」がない

この国には、病気休暇や生活保護、失業手当など、働けなくなった人や稼ぐ能力を喪失してしまった人に対しての保護は手厚い。

しかし、それは健康なり職なりを失ってしまった後の救済措置という要素が強く、気軽にちょっと一休みという感じではない。いわゆる“事があってから対処する”という状態だ。このような制度しかないと、未然に精神的な病気を防いだり、自殺者の増加に歯止めをかけたりすることは困難なのではないかと感じる。

これらを踏まえて、私が総理大臣になったら“一休み休暇”というものを採用したい。この休暇は、最大6カ月国に申請して、休暇を取得するものである。最大6カ月間だから1ヶ月でも2ヶ月でも良い。この休暇期間に、会社からではなく、国から対象者に13万円~18万円の現金を支給し、会社に籍を残したまま最低限度の生活を確保しつつ、休息できるようにするのである。

「一休み制度」があれば、きっと限界を迎える前に立ち止まれる

私にも経験があるが、毎月収入と支出の額が同じくらいで、全く仕事をしない状態を作ってしまうと、日々の生活や奨学金返済ができなくなってしまう人も多い。

また、仕事を辞めたいとまでは思わないけれど、とりあえず一回休みたい、まだ大丈夫だけれどこのままでは限界を迎えてしまいそうだという人もいるのではないだろうか。

せっかく大変な就活をくぐり抜けて入った会社を退職して、手放すのはもったいないからキープした状態で休んだり、リフレッシュしたりする期間が6カ月であるのは非常に有意義だと思う。

小さい頃すごろくで“一回休み”が出ると、とても悔しかったことを覚えている。しかし、大人になると現実社会は、毎分毎秒が自分のターンで「ちょっと待って!」と思っても無慈悲に明日は訪れて、“一回休み”を求めても社会は私を待ってくれない。

自ら人生を終わらせることがないよう「生きてるだけで良い時間」を

「数ヶ月だけ休みたい」そう思っても、休んだ後に次の仕事に就ける保証はない。休んだところで明日からの暮らしはどうするのかと考えて、休職や退職に踏み切れないでいる人もいる。それなら人生を休むのではなく「人生を終わらせてやる」と思って、命を絶ってしまう若者がこの国には毎日溢れているのだ。

私が総理大臣になったら、国民が再起不能になる前に、“何も考えずただ生きているだけ”で良い時間を持てるような世の中にしたい。