私が総理大臣だったら。
突拍子もないことかもしれないが、自殺したいと思った人に100万円をあげて、どこかに旅行に行かせて、休ませたい。
おおよそ疲れ果てた人というのは視野が狭くなっていて、自分を労わることができなくなっているのだと思う。そういった人たちにいつもとは違う場所でゆっくりしてほしい。
ここまで書くと、「そんなことに税金を使ったらもったいない」と言う人も出てくるだろう。
それでも、死にたいと思った人が生きようと思えるなら高い出費ではないと思う。騙されて嘘で申告されたら?死ぬよりはましだが、医療機関などと連携を取ったりして虚偽かどうか分かるようにできたらとも思う。
仕事をしても税金は高くそれが還元されているように感じる機会は少ない
そもそも生きづらいと感じる社会に問題があるのだ。
生きづらいとは余裕がない、と言い換えることはできないだろうか。
お金・時間・人とのつながり——政治で補える部分があるとすれば、お金と時間ではないだろうか。
仕事をしても税金は高くそれが還元されているように感じる機会は少ない。残業ばかり、過労死、疲れる。
例えば税金を使ってくれるのなら、それで子どもを育てやすい社会にすればいい。
出産費用を免除したり、保育士の給料をあげ人員を増やし保育体制を強化したり、学校の先生だってもっと人員を増やして残業がなくても回るように法整備を整え意識改革を行ってはどうだろう。
そうすれば子育てはしやすいだろうし、そうであるなら出生率もあがるだろう。
余裕のない人が少しでも休むことができて前向きに生きていける社会したい
日本の自殺者の数は多いと聞く。だんだんと出生率も下がっていると聞く。人間は余裕がないと自分以外の人に優しさを与えることも、子どもを産み・育てることも難しくなっていくのではないだろうか。その結果が今なのではないだろうか。
私が総理大臣だったら、余裕のない人が——極端に言えば自ら死を望んでしまうほど余裕がなくなってしまった人たちが、少しでも休むことができて前向きに生きていける社会したいと思う。
それは社会に生きやすさをもたらし、結果的にいくつかの問題も解決される——とまではいかなくても、幾分かましになるのではないかと私は思う。
人は自分に余裕がないと他人に優しくできないという。そうであるなら、国が真っ先に弱い立場にある人たちに優しくし、社会全体を救い上げていくべきではないだろうか。