誰しも持っていると思う。これをされたらめちゃくちゃアカン、という弱点が。
わたしの場合、とてつもなく苦手なのが、ある一定の「音」だ。
嫌いな音がしていると、そちらに意識が引きずられて無視できなくなる。
だから、電車に乗るとき、繁華街を歩くとき、映画館で映画を観るときも、必ず耳栓をして過ごすようにしている。
他人の呼吸や身体から発される音に不快感を覚える
わたしが苦手だと思うのは、人の呼吸の音、いびき、鼻をすする音、くちゃくちゃと咀嚼する音など、他者の身体から発される音。黒板をぎーっと引っ掻いた音に嫌悪感を覚える人は多いと思うけれど、あれとまったく同じ気持ちに襲われる。
わたしが音に過敏に反応するようになったのは、小学生の頃からだ。
ある日、真夜中に目が覚めてしまったとき、一緒の部屋に寝ていた親の寝息がしていた。それを聞いているうちに自分の呼吸のリズムを忘れ、とても苦しくて寝られなくなった。人の呼吸を意識した最初の出来事だ。
以来、成長するに従って、他人の呼吸や身体から発される音に不快感を募らせるようになってしまった。
嫌な音がしてきたときは、本当につらい。
特に嫌なのがいびきで、知らない人のいびきが聞こえてきたときは、つらいというより、キツい。
たとえ耳栓をしていても音は完全に遮断できないから、どうしてもいびきが聞こえてくる。気を紛らすために別のことをしてみても、全く頭に入ってこない。それどころか、頭の中が音に支配されるみたいになる。
頭に音が充満すると、頭蓋骨の中がむずがゆくなり、怒りのような感情が湧いてくる。いびきをかいている人を、どりゃあああ〜〜〜〜っ!と思い切り背負い投げでもしたくなる。
わたしの「困りごと」は「ミソフォニア」というらしい
こうした状態がさらに悪くなったのが20代前半のことだった。
どういうわけか嫌な音の種類が増え、さらに不快感の感度が上がって、些細な音にも反応するようになってしまった。
社交的になれなくなり、行きたくないと感じる場所も増えてしまった。
それでようやく、自分の症状について調べ始めてみたところ、驚く発見があった。
わたしと同じような「困りごと」を抱えた人が、他にもいたのだ。
見つけたのは聴覚過敏を抱えた人のブログで、その人は嫌だと思う音こそ違うものの、自分と同じような「困りごと」を持っていることは文面からでもよくわかった。しかも、一人ではなく複数の人が似た「困りごと」を抱えているのだと知った。
わたしはさらに調べていき、その過程で「ミソフォニア」という言葉を知った。
日本語だと「音嫌悪症」というらしく、わたしの「困りごと」も、おおよそこの概念に当てはまる。まだ医学的に確立されていない概念のようなので、自分の症状については「聴力過敏」と呼んでいるが、名前をつけられるくらいに、一定数、自分と同じような人がいるのだと感じた。
わたしは、この「困りごと」と一緒に生きていくことにした
「困りごと」について調べて、わかったことは他にもある。
例えば、疲れると症状が悪化すること。
すぐ解決するような薬はないようだということ。
海外に治療施設があるようだが、完治までに数カ月を要するということ。
日本で、もし診断書が欲しい場合は、心療内科、精神科、耳鼻科などに行くとよいこと。
わかったことは、一発で治るような方法は確立されておらず、騙し騙し付き合っていくしかなさそうだ、ということ。
だったら仕方ない。
わたしは、この「困りごと」と一緒に生きていくことにした。
その上で大切なのが、「我慢をしないこと」だった。
嫌な音は、どう頑張ったところで、我慢できるものではない。これまで何度も我慢しようとしてきたが、無理だった。嫌な音には抵抗せず、とっとと逃げてしまうのがいい。電車でいびきをかく人がいたら、即座にわたしは車両を変えるようにしている。不快な状況に留まる必要はない。
正直、生きづらいなと思う。これまでも、そう幾度となく思ってきた。
だけど、わたしは「困りごと」と、これからも暮らしていく。
いつかこの生きづらさが、他の誰にも譲れない、自分だけの特別な感性として誇れる日が来ればいいなと思う。