私は、自分の髪を許せたことが一度もない。なんせ毛の量が半端じゃないし、癖も強い。そして、硬い。どれくらい硬いかというと、皮膚に刺さる位。
“髪は女の命”という言葉があるが、それならば私はもう、死んでいる。とっくの昔から、白い灰だ。髪は死んだ細胞だという話も聞くし、それでいいやと半ば投げやりになっている。
もうこれ以上私の髪の話をしても、誰一人として愉快な気分になることはないので、文章の中だけでも理想を膨らませよう。こんな私でも、美容院に行く前にInstagramや予約サイトで、見知らぬ人の髪型の写真を眺めるのは楽しいのだ(例え希望が叶わないとしても)。
髪型の画像を見るとき、モデルの「髪の奥」に垣間見える生活に思いを馳せる
一度でいいからしてみたい髪型は、黒髪のストレート。Perfumeのかしゆかやシシドカフカの様な。後ろから見たときの毛先は、丸みを帯びたカットがいい。そんな髪型になれたら、レザーのジャケットにリブニットのハイネック、ふわっと広がるスカートを合わせたい。
最近だったら、髪の量が控えめの女子に似合う、フワッと巻かれたボブにもしてみたい。陽の光が透けるようなベージュカラーで。髪を耳にかけたときに、華奢なパールのイヤリングを覗かせたい。
私は髪型の画像を見るとき、そこに見切れているファッションも見ている。どんな服で美容院に訪れたのか。そしてこの人は、この磨きたてのサラサラの髪をなびかせて、この後帰りにどこかへ寄るんだろうか。一人で? 誰かと?自分で理想が叶えられない分、妄想は尽きない。その人の髪型の奥に見える生活に思いを馳せる。
YouTubeで有名人の日常を切り取った動画で、髪型が無造作なのにまとまって見えたときも、私は過敏に反応してしまう。「あ~。整った生活をしている人は、日頃から髪も整っているんだな~」と。
「前下がりボブ」という名の髪型がキープされるのは、たった数日だけ
そんな私が、一瞬自分の髪を少し許せるかもと思うのは、縮毛矯正をかけた直後、前下がりボブになったときだ。「は~!髪が少ないッ!!」と感動できる、魔法にかかったような髪型。しかし、その魔法は数日で溶けてしまう。根本がうねり、毛先がパサついてくる。気付けば、フォルムがおにぎりになっている。
私の髪型に“前下がりボブ”という名前が付いているのは、美容院を出た後の数日だけ。それ以外の日は、なんだかよく分からない髪をとりあえず結んで、なんだかよく分からない服をなんとなく着ている。
私のファッションセンスは、名前のない髪型に引きずられてか、系統がなくしっちゃかめっちゃかになっている。私は理想とする私のイメージが、常にボヤけているのだ。もしかしたら、私の生活も髪型に影響を受けて乱れているのかもしれない。というと、髪のせいにしすぎだろうけれど。
「女の命である髪」を救ってくれる未来が、一刻も早く来ますように
髪のコンプレックスは、体のコンプレックスと同じだと思う。縮毛矯正は、美容整形そのものだ。しかし、現代の施術では、私の諦めきった心を立ち直らせるほどの効果は得られない。
私は、技術の進歩と普及を待っている。将来髪型が整うことがあれば、ファッションや生活も、名前が付いた整ったものになるかもしれない。近未来の技術が、解けない魔法を私にかける。そんな日もそう遠くないと、私は信じている。一人の女の命を、どうか救って欲しい。