私が初めてムダ毛を意識したのは、小学生のときだった。まず、プールのとき脇の毛が気になった。

まだつるつるの子も多かった。友達に聞くと、カミソリとやらで剃っているらしい。少し怖かったし、なぜか恥ずかしかったが、母に相談したらすぐに子供でも怪我しにくいカミソリを買ってくれた。

剃ったり、脱毛サロンに通ったり「ムダ毛処理」を繰り返していた

中学生になるころには、全身の毛が気になった。脚も腕も指も顔も、全身肌が荒れるくらい剃った。私の毛は太く硬く丈夫だったため、夜お風呂のときに剃っても、翌日の夕方には少し青くなったりした。それが嫌で、学校にカミソリを持って行ったこともある。

高校生になるころには、みんなムダ毛に対してプロ級の知識を備えていた。サロンに通っている子、家で脱毛器具を使っている子、毛が消えるという謎の液体を使っている子、様々だった。たまに聞く「あの子、毛の処理あまいよね…」という話がなんとも苦手だった。

私がいないとき、私のムダ毛もきっと「処理があまい」「汚い」と言われているのだろうと嫌な想像をしてしまう。私は母と相談して、脱毛サロンに通うことにした。それは高校の終わりの頃だった。

大学生になって、脱毛していることが当たり前になり、私は自分のバイト代を脱毛に当てるようになった。他人から目に見えない箇所の脱毛の話題も出るようになった。

「アンダーヘア、背中、お腹、みんなどうしてる?」と聞かれても答えたくなかった。私の身体を晒しあげているようで嫌だった。私は笑いながら「ここは何回当てて、ここは一回も当ててない!痛い?怖いなぁ」なんて返した。

脱毛に通うことによって、確かに毛の処理は楽になった。回数を重ねるごとに毛は薄くなるし、生えてこなくなったところもある。

私は、脱毛サロンの待合室でいつも考えた。「この人はどこまでやるんだろう」「この人は脱毛楽しいのだろうか」「私はいつまでこの痛くて、めんどくさいこの行為を繰り返すのだろう」「毛が薄くなるのは嬉しい?」「それは処理が楽になるから?」「私が毛を嫌いだから?」「みんなが毛を嫌いだから?」

私は面倒くさがりながらも、ちょくちょく脱毛に通った。回数券が切れると、次はどこにしようか…とお財布と相談しながら考えたりした。

毛に怯えていた私を「前向き」に肯定してくれた彼の優しい言葉

大学生のうちに、夫と出会い同棲した。そのときくらいから、ガラッと意識が変わった。同棲しているので、いつも完璧に処理ができているわけではなくなった。彼にはムダ毛がある姿を見られても、なんとも思わない仲になっていた。長く一緒に住むと慣れるものだ。彼は、私のことを毎日「可愛い可愛い可愛いねぇ」と溺愛していた。いまでも、ずっとそうだ。

ある日、彼は言った「俺ね、〇〇ちゃんの顔の毛、好きやねん」と。いつもの「可愛いねぇ」「好き好き」の延長線のはずだったが、その瞬間ときが止まったように感じた。小学生から高校生まで、毛に怯えていた私が全員並んで唖然とした。

私は頭の中で思案した。「ごめん!処理あまいよね、いつも何も言わないから気にしてないのかと思った」「顔の毛、あんまり剃らないから…気になった?」どれだ、どれだ、どれが正解なんだ。

何も言わず目を丸くする私に、彼は続けて言った「あんなぁ、光が当たるとキラキラすんねん。俺な、〇〇ちゃんのお顔がキラキラしてるの眺めてるの幸せやわぁ」と、私の顔のうぶ毛をふわふわと撫でながら彼は目を細めて笑った。

私は、それから顔のうぶ毛を剃らなくなった。否定されるだけのものだと思っていた毛たちは、彼にとっては私をキラキラさせているものだったのだ。彼は、顔のうぶ毛以外の毛も褒めてくれるようになった。それは性的にフェチだとかそうではなく、私の一部として愛しているという意味だった。

私は大学時代、心の病気になった。彼が支えてくれなかったら、今の私がいるのかさえわからないくらい暗闇の中だった。それに伴うように体重が20キロ増えた。彼と出会ったときとは、もう姿形は確実に違っていただろう。化粧もせず、毛も剃らず、体重も増え、持っていた服はほとんど着れなくなった。できなかった。何もかもできなかったのだ。

でも、ただ一人、彼だけが私を肯定し続けた。家事をしなくても、分厚い一重でも、化粧をしなくても、太ってズボンの股のところが擦り切れても、彼は毎日「可愛いなぁ」と言ってくれた。脱毛してもしなくても、ただそのときの私を彼は肯定してくれた。

彼にとって、私の容姿や体型は私を構成する一部でしかなかった。彼が好きになった、毎日愛しい、可愛いと思える私は外から見えるところだけではなかったのだ。私は、私自身のことなのに、それにさえ気付いてなかった。私を構成しているものは外側だけじゃない、そう気付いてからずいぶん楽になった。病気も少しずつ良くなっていった。

ムダ毛なんかじゃない!毛は、私を「キラキラ」させる身体の一部

大学を卒業し、彼と結婚した。私は彼のおかげで、ムダ毛だと思っていた私の毛を愛することができるようになった。ムダなんかじゃない。私をキラキラさせる一部なのだ。

もちろん、サロンに通うことも無駄ではなかった。サロンに通っている間は、毛のことを忘れられた。「もういっそのこと全身ツルツルにしようか!」と思う日もあったが、私は私の毛のことがずいぶん愛おしくなっていた。私は、脱毛を完全にやめた。

もし、あなたの周りの人があなたの外側のことを全否定しても、誰か一人が肯定してくれたら救いになる。それが光となる。否定する人が必ずいるように、肯定してくれる人も必ずいる。

もし、まだその人があなたの周りに現れていないなら「大丈夫。あなたはあなたのままで大丈夫。十分すぎるくらい素敵です。キラキラ輝いています」と、私が肯定します。

結婚の挨拶のとき、実家に帰って妹に会った。妹は「可愛いウエディングドレス着るなら、しっかり痩せて、背中とか脱毛がんばらなきゃね!しっかりまつ毛も上げると二重になったりするよ!」と言ってくれた。私は、びっくりした。私は、もう私の毛のことを私の身体のことを愛していた。私は「ありがとうね」とだけ言った。

私の身体のことは、私が決める。これからもずっと、うぶ毛と一緒に光に包まれた私の身体を愛している。