大学2年のあの日、突然私の日常は変わり、外出が怖くなった

それまではずっと幸せだった…。日常が変わったのは、忘れもしない大学2年の1月1日だ。
テーマパークでカウントダウンを楽しんだ帰りの新幹線だった。徹夜の疲れからだろうか、屁が止まらなくなったのだ。
後ろの席の家族はコソコソとそのことについて話し、しばらくして席を変わっていった。後ろの家族だけじゃない、自分の周辺の席の人から送られる視線の恐怖と罪悪感は今でも頭にこびりついて離れない。

その日からだった、通学に使う満員電車でも講義での密集した席でも屁が止まらなくなったのだ。学校に行くのが怖くなった。外に出るのが怖くなった。
毎日気にしないように気にしないようにって思いながら頑張っていた。それでも1年治ることがなかった。

病気を治すため環境を変えたくても厳しく、改善方法を試す日々

何度も何度も同じ症状に悩まされている人のSNSを見た。それでも、ずっと人の視線に恐怖を感じながら過ごした。周りにどのように思われているのか気になり、家族にすら相談することもできなかった。
病院に行くのも怖くて、なかなか行く勇気も出なかった。周りから敵視され、単位を落として親から叱られ、ずっと辛くて死にたかった。それでもなんとか生き続けた。
しばらく日が経ちようやく病院に行き、過敏性腸症候群のガス型だと判明した。でも、根本的な治療法はないと言われた。
絶望的だった。環境を変えれば治りやすいと言われた。環境を変えるのは難しいかったので、他に効果的なことを何度も何度もいろんな方法で試した。
運動が効果的だと言われれば、満員電車で帰ることが出来ないので、空き始める途中の駅まで3時間かけて歩いた。麦ご飯がいいと聞いたらそれを食べた。

多くの人にこの病気を知り、そして温かい視線が増えてほしい

大学を卒業し、社会人になった。環境は大きく変わったはずなのに、結局今日まで治らないままもうすぐ3年を迎えようとしている。
この症状に悩まされて、初めて気づくことも多くある。きっとなった人にしか分からない辛さもある。ずっとなった人にしか分からない、何を言っても嫌な目で見られるそう思っていた。でも、きっとこの症候群があることも知らない人が大半だろう。
だからどうか、多くの人に苦しんでいる人もいるのだと世界に広まってほしい。そして、どうか温かい視線が増えてほしい。

きっと、人とは違うということに対して怯え、苦痛を感じる人もいるだろう。それでも、それが個性であり、自分であり、これからも大切にしなければいけない存在であることを忘れないでほしい。
病気にかかっている人だけではない、きっと周りとは違うということに悩んだり苦しんだりする人もいるだろう。
それでも変わらず一緒に寄り添いあって生きていきましょう。