自分の振袖姿を写真に収めたくなかった。
19歳から20歳になりたての頃、気がつくと周りの女友達が成人式の準備に取り掛かり始めていた。大学や恋愛の話、今までと変わらない他愛ないおしゃべりの中に、振袖や前撮りの話が当たり前のように加わってきた。

小学生の頃から、自分の容姿にコンプレックスを持っていた…

高校卒業後からなんとなく髪は伸ばし続けてはいたものの、私は成人式にあまり乗り気ではなかった。「成人式までにはふつうの娘くらいには痩せなさい」という両親の言葉を文字通り、何百回も聞かされ、悔しさと情けなさに板ばさみにされていたからである。

言わずもがな、女友達のfacebookやInstagramは毎日のように更新され、晴れ舞台で着飾り微笑むお姫様たちが日に日に増えていった。

私は、小学生の頃からずっと容姿にコンプレックスを持っている。朝ごはんが一切喉を通らなくなる身体測定の日や、軽肥満と肥満を行ったり来たりする健康レポートも大嫌いだったし、それを見た両親の「もうちょっと痩せなきゃね」「食べ過ぎには気をつけようね」という言葉は、さらに嫌いだった。

小学校高学年になると、さらにニキビに苦しめられ、いよいよ自分の顔も身体も全てが嫌いになっていた。

暗黒の中学時代を過ごした私だが、いろいろ苦労をしつつも高校で明るさを取り戻し、容姿にこれといった変化はないものの少し無頓着にすらなり、仲の良い友達もできていい大学にも合格し、(気分的には)平均点よりちょい上くらいの人生を送っていた。そんな中で避けては通れない人生イベントの一つ“成人式”が、再び私の容姿コンプレックスを呼び覚ましてしまったのだ。

誰も知らない…私がここまで容姿にコンプレックスを持っていること

「晴れ着姿は一生モノ」「人生で一番美しい瞬間」「親への感謝の印」なんて仰々しいキャッチコピーに影響されてかはわからないが、ハタチになる年にかなり真剣にダイエットをした。

当時ブームだった糖質抜きと筋トレを完璧にこなした。結果として数キロ減量に成功し、身体もそれまでより引き締まり始め、周りからも「痩せた」「可愛くなった」と褒められ、本気で「私もお姫様のような写真が撮れるかもしれない!」と思い始めた頃に、栄養不足と拒食から体調を崩しダイエットを中断、その後凄まじいスピードでリバウンドし、成人式はリバウンド姿で迎えた。ダイエット前より数キロ増えていた。

数年ぶりに会った地元の男友達には「旅館の女将かよ」といじられた。場を盛り下げまいと明るく振る舞ったものの、細くて可愛いお姫様のような周りの女の子たちと自分を見比べ、余計に苦しく感じたのを覚えている。

式前には「前撮りする人減ってきてるらしいよ」「もう時間もないし、後撮りでいいよ」、式後には「どうせ撮るなら、もうちょっと痩せてからにしようよ」「忙しくて時間が取れない」などと言い訳をし続けていたら、とうとう家族も写真について何も言わなくなった。

両親・祖父母を始め家族は、私がここまで容姿にコンプレックスを持っていることは知らないだろう。容姿を自虐することもあるし、周りに何かを言われるのにも慣れてきてしまっている。「ワタシはワタシ」なんて清々した格好良いものではなくて「私はあなたになれなかったんだから放っておいてよ」に近いと思う。

一度だけ母に「写真に残せないなんて、ママは少し寂しいよ」と小さく嘆かれたことがある。すごく申し訳ない気持ちになったし、いつか私もお姫様になりたいと思っていたけれど、そのいつかのタイミングはもう過ぎ去ってしまったと信じて疑わなかった。

妹の前撮り写真に一緒に振袖を着るか…困惑と喜びの感情が交差する

あれから5年が経とうとしている。来年は、妹が成人式を迎える。新型コロナウイルスの影響で、成人式自体の開催も危ぶまれているが、妹はきちんとお姫様になれるよう段取りを組んでいるらしい。私が果たせなかった親孝行を、妹が担ってくれることに安心した。それと同時に嫉妬もした。

そんな中で先日、妹から「前撮りの家族写真に一緒に振袖を着て参加してほしい」と頼まれた。私の意思を尊重すると言ってくれた彼女は、5年前の私より遥かに大人だと思う。5年も逃げて、周りに成人式の話をする人などいなくなって油断していた私に「またダイエットに失敗したら今度こそ立ち直れないのでは」という困惑と「お姫様になれるチャンスだ」という喜びが、驚いたことに訪れた。妹にはまだ返事をしていない。

きっと5年後も10年後も、私が自分の容姿に100%自信を持てる日なんて来ないだろう。けれど今回、振袖写真を撮れたとしたなら、この5年間引きずり続けてきた重石を砕くことができるかもしれない。そんなことを考えながらダイエット法をネットサーフィンしている今日この頃だ。