指に生えている毛を指でつまんで、抜いていく。けっこう前に全部抜いたはずなのに、いつの間にやらまた黒々とした毛が生えている。

手が綺麗な女性は、素敵だと思う。白魚のような指と、甘皮まで整えられた桜貝のような爪。もちろん毛なんて生えていなくて、細い指先はきっと鉛筆以上のものは持てない。

綺麗な手じゃないけど、人生が見える「私の手」もけっこう素敵だよ

私の手はどうだろうか。8年間続けた剣道のお陰で、手の内には硬いマメと、鍛えられた握力が残されている。爪が長いと怪我をしてしまうから、短く切り揃えるのがクセになっている。今は飲食店でアルバイトをしているから荒れていて、お世辞にも綺麗な手とはいえない。

手が綺麗な女性は素敵だけれど、人生が見える私の手もけっこう素敵だよなと思う。自分の体を嫌いでいる理由はあまりない。

心と体は繋がっているというけれど、私がどれだけ私のことを嫌いになっても私の頑丈な体は勝手に生きてくれるもので、嫌なことや辛いことがあって死にたくて涙で顔を濡らしても、私の体はお腹が空き眠くなり、トイレにだって行きたくなるし、心臓は動いている。こういうとき私は「自分の体に愛されているな」と思う。

私は、指の毛にすら愛されているんだから「愛」を返してあげよう

谷川俊太郎さんの『やわらかいいのち』という詩がある。その詩のなかに「あなたは愛される 愛されることから逃れられない」という文がある。

愛されることに、私が私である必要はどこにもない。ただ、私は生きているから、私たちはひとつのいのちだから、いのちを持つ私たちは愛されることから逃れられないという内容だ。

生きているだけで愛されてしまうのなら、自分ばかりが自分のことを嫌いでいるのは少しばからしく思える。指に生える毛だって、私が生きているから生えてくるのに。毛が生えている手を嫌に思ったって、毛が生えてこなくなるわけじゃない。

私の指の毛にすら私は愛されているのなら、愛を返してやるくらいの気概で生きていたい。

手が綺麗な女性は、手を綺麗にするために途方もない時間と労力を使っている。
綺麗でいるために努力できる女性は素敵だ。私は手が綺麗なだけで、無条件にその女性を尊敬してしまう。その努力に敬意を示したくなる。

生きているだけで「愛されている」んだから、うつくしく生きよう

生きるために努力している人は、うつくしい。理由なんて、なんでもいい。ささいなことを「努力」と呼んだっていい。足を止めなければ、前には進める。別に前じゃなくたっていい。どこにだって道はある。生きているだけで愛されているんだから、どうせならうつくしく生きていたいじゃないか。

指に生えた毛を指先で摘んで抜いていく。途中で面倒くさくなって、手には中途半端に毛が残っている。お世辞にも綺麗とはいえない。ただ、私は私なりに頑張って生きているので、私の手は十分うつくしい。