私はSNSで「ランジェリー美容師 ミオ」という名前で自身のランジェリー姿から仕事のことまで投稿し、お客様の外見から内面まで整える美容師として、髪のことは勿論、小顔矯正が出来たり下着のフィッティングが出来たり、ランジェリーを販売したりなど、表参道でトータルビューティーをサポート出来る女性の美容師として働いている。

それも自分のセクシャリティがパンセクシャル(=あらゆる性別の人が恋愛対象になる人。男女関係なく誰かを好きになったり、相手の性別を問わず「好きになった人が好き」という考え方)だということを、一度も隠したこともなく(友人も両親も職場の人も知っています)、そして自分の小さな胸を下着で盛ろうともせず、ランジェリーを着けたり寧ろチラ見せするようなファッションでありのままの身体も楽しみながら、それを特徴として表に出しながら、美容師の中でも異例の年収1200万を超える結果も出している。

小さい胸がコンプレックスなんて思わない

そんな私だが、胸の大きさの変化が見えてきた小学生高学年の頃も、大人になった今も、胸が小さくて馬鹿にされることがある。
女性にも男性にも胸のサイズを聞かれ、ブラのサイズがC65だと答えれば「え、そんなわけ無いでしょ。見栄張らなくても。」と笑われながら言われたこともあった。
きっと相手側の根底に「胸が大きい方がいい(=価値がある)」イコール「そうじゃないのは恥ずかしいと思うはずだから、見栄を張ってるんだな」という思考があったのだろう。
しかし私は、元々自分の胸の大きさを気に入っていて、見栄を張る必要性も感じていない。だからそのままを話してるのに、なぜ見栄や嘘だと言ってくるのか...私には理解できなかった。

胸が小さいからといって生活の中で困ったことはないし、むしろ素敵なランジェリーを身に付けられたり、ノーブラでサラッとお洋服を楽しめることも出来ている。毎日が幸せである。

身体はどんな形や大きさであれ、それぞれでいいはず。大きいから正義でもないし、小さいから正義でもない。好みはあれど、本人がどう在るかは自由なはず。
それを他人のフィルターから見て「コンプレックスだろう」という勝手な固定概念で図られ、そう言われたことは残念だったし、きっと世の中にはそれで傷ついたりコンプレックスになってしまう人が居るんだろう...悲しいことだ。

それからパンセクシャルなことも、そんな自分で良かったと思う。単純に、どんなセクシャリティの人のことも一人の人間として敬愛したり、パートナーの対象として考えることが出来るからだ。
例えもしそれを否定的に見てくる人が居ても、私の人生や倫理観に関係ないことで、誰も傷つけてないので、なにも気にしない。

コンプレックスとは、他人とは違う「特性」では?

あなたが抱えるそのコンプレックスは、もしかして他人からのフィルターを通してるのでは?
そのコンプレックスは、自分のフィルターからよく見れば、きっとただの特性であると私は思う。
理想があることはいいことだが、他人のフィルターを通してみた自分と特性をコンプレックスとして抱えなくていい。
コンプレックスではなく、自分の特性だと理解した上で、目指すものが理想であると、私は思う。
Twitterやnoteでは私のこういった思考を「 #ミオマインド」 として綴ってるのですが、本当は自分の特性として堂々と生きたいのに色んな柵があってそれがコンプレックスになってしまってる人へ、私の生き方がちょっとでも支えになりますように。