私の視線が他の女の子たちの視線よりも高いということに気が付いたのいつの頃だったか。

中学1年、159センチ。
「ねぇ見て、あそこにサン宝石あるよ!」私は人でごった返す昼下がりの原宿竹下通りを、友達と必死の形相で歩いていた。
「いやいや、ないって。てか見えないって!」と友達は言うけれど、わたしは「いや、ほら、あそこ!」と必死で指を指した。
私は背が高い。加えて目もいい。私にはピンク色の、“かわいい”“安い”雑貨でまみれた天国の看板が、それはもうはっきりと見えていた。
すれ違う人に揉みくちゃにされ、私の服の袖を縋るように掴む身長140センチ程の友達が「背が高いって得だね」と呟いた。

『背が高いって得』。
思い返せば、私の幼稚園児の頃から身長が高かった。背の順ではいつも一番後ろで、腕をピンと床と並行に伸ばすポーズしかした事がない。腕や脚の長さが関係あるのかは不明だが、体育のバスケットボールでは誰よりも早く空中でボールを捕まえられたし、運動会の50メートル走では一度も負けたことがない。
久しぶりに親戚に会ったりすると、「朋ちゃんはスラッとしてモデルさんみたいねえ」と皆にこやかに褒めてくれるから、私は良く調子に乗ったものだった。
「確かに得かも。」私はその時、本気でそう思ったのだった。

淡い恋心と自尊心を粉々に打ち砕いた『東京スカイツリー事件』

中学2年、165センチ。その年に私の人生に大打撃をもたらす事件は起きる。通称『東京スカイツリー事件』だ。
私が通っていた中学は小高い丘の上にあって、その通学路にはスカイツリーが望める公園があった。2009年、着工から1年が経過したスカイツリーは日ごとにその高さを増していた。仲が良かったクラスメイト8人といつもの公園で、いつものように工事中のスカイツリーを眺めながらなんとなく駄弁っていたある日の放課後。
話題は恋話へと移り、男子が「お前隣のクラスの鈴木が好きなんだろ」といった勝手な憶測を立てて女子がキャーキャーと騒ぐような、そんなありふれた場面で、突如爆弾は落とされた。
「佐藤はこいつが好きなんだろ」
その場にいた全員の視線が、グループの輪の中で、軽く上下に行ったり来たりする。
佐藤とは私の好きな人のこと。こいつとは私のこと。
佐藤は私より小柄で、およそ157センチ、サッカーが上手で、数学が得意で、誰にでも優しい男の子。
そんな佐藤の顔がみるみる赤くなって、耳までも赤くなって、そうして言い放った。
「誰がこんなスカイツリー好きになるかよ!」

そして一同爆笑。後で分かったことだが、1年の時から同じクラスだった複数の男子生徒が、ぐんぐん身長が伸びる私を建設中のスカイツリーと重ねて「あいつはスカイツリーだ」と陰で揶揄していたのだった。
つまりその時、私だけ全く意味が分からず、例えそのあだ名の存在を知っていたとしても、人間を建物に例えて腹を抱えて笑える気持ちなんて分からなくてもいいが、とにかく私は皆の笑い声を全身に浴びて、震えていた。
そして、そのたった一言は私の淡い恋心を粉々に粉砕したあげく、必要以上にデカいことはお笑いであるということを私に刷り込み、さらには私が私の身長を長いこと恨む引き金となったのであった。

どこかで夢見た青春は、低い位置にあり過ぎる

高校2年、169センチ。私の猫背はピークを迎えていた。意識して小さく見せようととった奥義・猫背は次第にそれが通常姿勢となり、私は17歳にして慢性の肩こりに悩まされる羽目になっていたのだった。

「ねえねえ、ハグする時の理想の身長差は20センチなんだって~」と友達が私に話しかける。「え、てことは朋は四捨五入して170だから…190センチの人だね!」「そんなん日本人じゃいないじゃん」とすかさず別の友達が突っ込む。ハハハ、と私はもう乾いた笑いを出すのに精一杯だった。

169センチまで伸びると、初対面の人と会うと必ず「大きいですね」と言われるのが常になり、さらにデリカシーのない男子生徒には事あるごとに「デケェ」と言われることとなった。
それらの積み重ねは私の猫背に拍車をかけ、すると私の思考もどんどんマイナスに傾いた。「シャンと背筋を伸ばしなさい。」と母に注意されるたび、「シャンと背筋なんて伸ばしちゃったらもっと大きく見えちゃうじゃない」「そうなったら一生彼氏なんて出来ないじゃない」と極端だが、想像出来てしまえる暗い将来を頭の中で描き、私はなんだか普通に立っていることすらも恥ずかしくて堪らなかった。

大抵、理想というものは空の上にあるから手が届かない、なんて表現される訳だけれど、私の場合それは低い位置にあり過ぎた。もはや屈んで手を伸ばすようなものだ。
私にフリフリの可愛いファッションは似合わない。私に上目遣いは出来ない。私にヒールは履けない。私に190センチ以下の彼氏はできない。高身長というコンプレックから一つ、二つと呪いは生まれ、私は結局、漫画やドラマで夢見たような青春を送ることが出来ずに高校を卒業した。

私の視線、彼らの視線、そしてこの世界

現在、身長169.3センチ。
ほとんどの人の視線を下もしくは同じ高さから浴びることに変わりはないが、私自身は大きく変わった。
私は正しく姿勢を整えて街を歩くことを覚え、そして正しく彼らの達の顔を見下ろせている。
159センチの時も、165センチの時も、169センチの時も世界は変わっていないはずなのに、今、169.3センチの目線で見るこの世界は新鮮味を持っている。

そもそも、何故こんな背筋を伸ばせるようになったのかは詳しく覚えていないが、それでも二十歳を超えて、自分の見た目を抜きに人と真正面から向き合えることを知ったこと、勇気を出して履いた8センチのヒールがなんだかとてもしっくりきたこと、留学した国で170センチを超える女性がざらにいたこと、などといった複合的な要因によって、私は次第にシャンと歩けるようになったのだと思う。

正直、小さくて可愛らしい雰囲気の女性と話すとどうしても萎縮してしまう時はまだある。「見下ろすな、偉そうだ」とバイト先のお客になじられた日を思い出すと、今でも悔しい気持ちにもなる。

高低差を伴って交差する私と彼らの視線。
しかしそこに混じる好奇や驚嘆や嫌悪を見つけたとしても、私の尊厳をもうさして損なわれはしないだろう。そして私もそこに羨望や謝意や羞恥を混ぜることはないだろう。

私は169.3センチのこの高さで偽ることなく、この世界を見つめていく。