おっぱいが大きく見られることが苦手だ。全然嫌味とかではない。中学生くらいの頃から、「おっぱい大きいね」と友達や男性に言われてきた。相手はけなすつもりはまったくなく、むしろ褒めている。
だけどわたしにとっては、言われるたびに心の中にじわっと嫌な気持ちが広がることなのだ。わたしにとって「おっぱい大きいね」は衣服を身に着けた男性に「おちんちん大きいですね」と言うのと同じだと思うのだがどうだろう。
正確に言えば、わたしは自分のおっぱいが大きいことは嫌いではない。綺麗なかたちだし、むしろ好きなパーツなのだけど、それを他人から指摘されるのが苦手なのだ。

もしかしたら恋人だったら嬉しいと感じるかもしれない。あとは親友とか。むしろ苦手なのは、そこまで親しい関係でもないのに、そういうことを言ってくる人なのだ。その感覚のずれと配慮のなさに、なぜかこっちが申し訳ない気持ちになる。おっぱいを持ってるのはこっちだから。目の前に本があったら、誰だって本があることについて話したくなるだろう。

おっぱいのように心も柔らかい自分でいたいけれど

わたしは服を着るのが好きだけど、ぴたっとしたトップスを着るとおっぱいのかたちがよくわかる。かといってだぼっとしたトップスを着ると身体にフィットしていなくて野暮ったく見えるのでコーディネートするときは身体に合っていて、なおかついやらしい感じがしないものを選ぶ。
よく海外の女の子がキャミソール一枚とかで歩いているけど、全然嫌な感じを与えないのが羨ましい。筋肉量とか文化の違いなのだろうか。

多分わたしの育った環境も影響しているのだと思う。うちの家族は堅苦しいというわけでもないけど、性に関することをオープンに言う雰囲気ではなかったし、今でも家族のいる食卓でバラエティの下ネタが流れると少し気まずい感じになる。だけどわたし自身はほんとうは下ネタとかも大好きだし、やっぱりそれを言いあう距離感の問題なのだと思う。

つらつらと書いてきたが、大抵は「おっぱい大きいね」と言われてもわたしは何も言わない。ただ静かに笑っている、雨にも負けず風にも負けず。このおっぱいの分だけ心も柔らかかったらいいのに、と本当に思う。
でも今回このエッセイを書いてみて、自分が思ったより不快感を感じてることがわかったので、次言われたら少し抵抗してみてもいいかもしれない。おっぱいが出てるからといって、わたし自身がひっこむ必要はないのだし。