容姿の美しさこそが愛を手に入れるための近道だと信じて疑わなかった頃、大して生えてもいない生毛を消すために美しい肌の上に鋭い刃物を滑らせていた。
毛が無いこと、痩せていること、二重であることは女性として愛されるうえで欠かせない要素であるという勘違いは、小学校高学年の頃には思考の核となる部分に深く植え付けられていて、その呪縛から開放されるまでにはあまりにも長い年月が必要だった。
私の容姿をよく褒めてくれたけれど、恋人にしてくれることはなかった
呪縛から解放される少し前、年齢でいうと22歳のとき私には大好きな人がいた。彼は会う度に私の容姿をよく褒めてくれたけれど、恋人にしてくれることはなかった。息をするようにさまざまな女の子とセックスをする彼の世界には誠実という言葉が存在しておらず、ひどくぞんざいな扱いを受けた。私はそのように扱われる原因を、今まで何度も目にして刷り込まれてきた痩せ至上主義などの過激な風潮の中から見出し、自分の容姿が優れていないからだと決めつけ、容姿コンプレックスを発動して過度なダイエットにのめり込んでいった。もともと痩せ細っていた身体はさらに細くなる一方だった。正しくない食生活は心を乱れさせ、彼の周りの女の子と勝手に比べては落ち込み、劣等感は深刻さを増すばかりだった。寝る間も惜しんであるかわからない会える日のためにダイエットや神経質すぎる肌の手入れをし続け、誘われると夜中でも身体中の体毛を剃り落として、細い身体と手入れの行き届いたきれいな肌を喜んで差し出した。
途方もない無力感に襲われ、彼に会うこと自体が億劫になった
努力の甲斐あってか彼に呼ばれる回数は増えたし、容姿も何度も褒めてもらえるようになった。けれど次に訪れたのは嬉しさではなく、違和感と虚しさの入り混じった気持ちだった。心の悲鳴を無視して、いい方向に進んでいると自分に言い聞かせながら半年ほどの時間を過ごした頃には途方もない無力感に襲われ、彼に会うこと自体が億劫になり、彼を求めて争い合うリングを自ら下りていた。
私には容姿にしか興味の無い人間をどうやって愛せばいいのかついに分からなかった
お腹いっぱいご飯を食べるただそれだけの普通の生活を取り戻すと、自分が読書や映画鑑賞が好きだったことを思い出し、自分を失っていたことにようやく気がついた。
リングを下りて数ヶ月ほど経って自分の内面に少し自信が付いた頃、久しぶりに彼に誘いに乗って会うことにした。会ってすぐにあまりの会話の成り立たなさに自信はあっさりと打ち砕かれた。彼の会話はどうセックスに持ち運ぶかしか考えていないことが態度の端々からはっきりと伝わってきた。私の言葉は彼の適当な相槌によってブラックホールに吸い込まれるかのように消えていった。バッサリと切り落とした髪型にも気が付くことはなくて、以前素直に受け取っていた彼からの褒め言葉は、喜びそうな言葉を詰め込んだだけのセックスの等価交換としてのプレゼントだったのだと気がついて恥ずかしくなった。微かに残っていた淡い恋心は、恥ずかしさだけを残して消滅した。
私には容姿にしか興味の無い人間をどうやって愛せばいいのかついに分からなかったし、自分の見た目を気にするあまり他人の見た目にまで鋭く目を光らせていた自分の態度や考え方を見直す必要があった。
S N Sや街中にあふれる過剰な容姿至上主義。誰も自分で自分を追い詰めませんように。
痛い傷と共に自分の在り方を見直した今でも、S N Sや街中にあふれる過剰な容姿至上主義と言わんばかりの広告を見る度に、同じ過ちを繰り返さないように自分に言い聞かせる。そして、私のような勘違いで自分を消費する人が産まれてしまうことを一丁前に心配したりもする。
無駄毛を見られたら幻滅される?太っていたら愛されない?どうか呪いのような言葉に惑わされないでね、と。愛されないことに理由を求めてしまうときもあるけれど、それは自分の持って産まれたものや現在の状況を否定する理由にはしないでね、と。叶うことならひとりひとり抱きしめてまわりたい。あの地獄のような病める日々を一人で過ごす自分にしてあげられなかったぶんまで励まし、一緒にいたい。まあ、そんな迷惑なことをしてまわるわけにもいかないのでとにかく願い、こうして書いてみる。誰も自分で自分を追い詰めませんように。
そんな気づきを得たうえで私はいま好きなものを食べ、適度に運動し、脱毛に通っている。脱毛はまだ途中なのでまだ毛は生えてくるけれど、それを一生懸命剃ることはもうしない。人間だから生えてくるものは生えてくるし、意外と毛もかわいいものだ。何よりも私が私の一部を好きだからそれでいいのだ。ただ、自分が好きになれない部分の毛は無くす。自分の好きな体型でいられるように調整する。自分がしたいからする。私は今の自分が大好きだ。そのことを大切に、これからも自分の行動の理由は自分で持って生きて、たまには恋をしたりしていきたい。