2020年の夏の終わり。私は死にかけていた。
高校生のころからうつ病だった。
大学生になってからは生きたいという強いエネルギーで
なんとか生活を回らせてきたけれど。

限界だった。今までの無理をしたツケが一気に私を襲った。
心臓を潰されているような痛みが1日中続き、大学病院で検査を受けた。
結果、心臓自体に問題はなく、強いストレスが原因だろうと言われた。

強いストレスね。そっか。

ストレスを減らすようにカウンセラーに言われた。

うん、でもさあ。生きてることが苦痛なんだもん。

周りにも自分にもうんざりだ

病気になってはじめて、周りがたいして役に立たないことに気が付いた。
みんな正論ばっかり言う。
そして私に興味がない。
わが身可愛さにテンプレートな会話を繰り返す人たち。

うんざりだ。
周りにも自分にもうんざりだ。
薬の副作用で太った体も、心配性な性格も。
本当の私は、うつ病じゃない私は、
もっと陽気でカッコよくて秘めたパンクを匂わせているはず。

本当の私になるために、まずは髪を切ろう

10月に阿部サダヲさんにはまった。
前から映画やドラマで知っていたけれど、今回の心の突き刺さり具合は尋常ではなかった。
映像だけでは飽き足らず、阿部さんが出演している生の舞台を観に行った。

舞台の下手から阿部さんが出てきた。
カッコいい。
明るいエネルギーが全身から出ている。
でも、なんだろう。
ほの暗い色気も感じる。

そうだ、私はこんな姿になりたいんだ。
チカチカと光り続ける舞台を、私はぼおっと見つめた。
心臓は痛みを忘れていた。
もう体は震えていなかった。

家に帰った私は、なにか確信を得ていた。
本当の私になるために、まずは髪を切ろう。
そう思った。

縮毛矯正で作ったストレートボブの髪が、今の自分にはとてつもなく気持ち悪く感じた。
そういうのさ、違うんだよね。
そういうのさ、もういらないんだよね。

阿部さんの髪型にしよう。
ネットで「阿部サダヲ」と検索したら、わさわさと写真が出てきた。
七三分けでバックとサイドを刈り上げている、
ヘアワックスを使った男の色気ばちばちスタイル。

素敵だ、アメージングだ。
そっと写真を保存し、私はカットが上手いと噂の美容院を予約した。

おどろくほど、刈り上げた姿がしっくりきた

土曜日の夜、やたらとお洒落な美容院の椅子に座る。
美容師さんは女性。
「今日はどのような感じにしますか?」
美容師さんに写真を見せる。

「この写真みたいなカッコよくて色気がある髪型にしたいんです」
私は、早口でその台詞を言いきった。
「ええー、素敵な髪型ですね。刈り上げもガツンといっちゃいますか?」
美容師さんはそう言ってくれた。

わお、この美容師さんわかってるわあ。
「いっちゃいます。刈り上げちゃってください」

1時間かけて、私の髪はどんどん短くカッコよくなっていった。
バリカンで刈り上げた部分がスース―していい気分だ。
シャンプーの後に、ヘアワックスを使って髪の毛をセットしてもらった。

鏡のなかの自分を見て、思わず笑った。
カッコいい。笑っちゃうほどカッコいい。
私は恍惚の表情を浮かべた。

ぴしっとセットされた髪が整った顔を飾り、底知れぬ色気がにじみ出ている。
おどろくほど“この姿”がしっくりきた。

「お客さま、よくお似合いですよ」
美容師さんはゆっくりと落ち着いた声で言った。
「ありがとうございます。私も……そう思います」

帰りのバスの座席に座り、周囲を見渡してみた。
楽しそうな家族連れ、仕事帰りのサラリーマン。
みんな、それぞれの世界を楽しんでいた。
そして、だれも私の刈り上げ姿を見てはいなかった。

そうだよな。私が何をやるのも自由なんだ。

ふとそう思った。

他人は変えられないけれど、自分は変えられる

周りの人が何をやるのも自由だ。
それだったら、自分がやりたい方を選ぼう。
他人は変えられないけれど、自分は変えられる。

そして自分が変われば、周りも変わるんだろう。
自分で選択して、自分の道を作っていくんだ。

バスの窓から過ぎ去る街灯を眺める。
運命の輪が、がたんがたんと動き出した。

今、私は頭の刈り上げ部分を撫でながらこのエッセイを書いている。
死にかけた2か月前の自分は、本当に死んでしまったようだ。
新しい自分は、ちょっぴり生意気でにやりと笑うような人だった。