私の永遠のテーマは、『似合う』を探すことだ。
世の中には、丸顔は可愛い系のメイクが似合う!とか、ぽっちゃり体型はロングトップスが似合わない!など、『〇〇には〇〇が似合う、似合わない』というものが多く存在する。憧れの人物像と自分に合うものが一致する人が羨ましい。

大学生の時、クラスで1、2位を争う程可愛いらしいお人形の様な女の子と、私はなぜか服の好みが似ていて、よく服装が被った。そのたびに、あの子はあんなに似合ってるのに、私が着たらなぜこんなに別物になるんだろう。と思った。

私だけではなく周りもそう感じていた。私とその子を比べる言葉が聞こえてしまったからだ。一度聞こえてきた陰口はずっと心の中にキズとして残っている。それから、周りに気づかれて比べられるのが怖くて、隠れるように授業を受けた自分を今思い返すと涙が出そうだ。

好きなものでなくても、自分に似合うものは愛おしくなってくるもの

このように私の大学生時代は、自分の好きなものを諦めたり個性を壊したくないと考えて、好きなものだけを取り入れて、憧れだけを追い続けていた。
しかし、年齢を重ねていくうちに自分に似合うもの、似合わないものがだんだんわかるようになってきた。

黒髪を貫いていたが、思い切って茶色に染めてみたら、地味で霞んでいた顔も、少し垢抜けて華やかに見えた。オーバーサイズをダボっと着るのに憧れてオーバーサイズのジャケットを着ていたが、縦ラインを意識して細めのパンツにロングコートに変えてみたら、体重は変わっていないのに周りから痩せた?と言われるようになった。
目に見えて良くなったと感じると、好きではないものも、愛おしくなってくるものだ。

身長や肌の色、骨格など生まれながらにして与えられたものは、なかなか変えることは難しい。だったらそれに似合うものを見つけたらいいじゃないかという思考に変わった。
昔は、自分が好きなものだけにしか目がいかず、周りをみようとしなかったが、冒険して他を比べてみるようになった。あれ?こっちは好みじゃなかったけど、案外合うかも!と思うことが増えた。

まるで一際輝く宝石を見つけたような、似合うものを見つけた時の喜び

気づけば、自分の好みを探すのではなく、似合うものを探すことに夢中になっていた。似合うものに出会った時に、自分力がワンランク上のレベルに上がっていく喜びを感じるようなったからだ。例えるなら、一面に広がるお宝の山から、一際輝く宝石を発見した気分だ。

周りと比べず、自分らしさを大事にする人もとても素敵だと思うし、カッコいいと思う。それはその人自身が似合うと自信をもっているなら、だれがなんと言おうと似合っているのだ。
しかし、私のように、個性をよりも自分に似合うもの探しで、自分を大事にする選択もありではないだろうか。

本当は、目がぱっちり二重で黒髪ロングの高身長、華奢な女性に憧れている。
しかし私は、一重で茶髪ショートで標準身長、ぽっちゃりの自分を輝かせてくれる『似合う宝石』を日々探し続ける自分でありたい。