容姿コンプレックスなんて不毛だ、心の底からそう思っている。やれ目が小さいだの鼻が低いだので卑屈になってうじうじして醜い姿を晒すことを考えたら、整形費用を稼ぐためにアルバイトにでも励んでいる方がよっぽど建設的だ。
こんな妙な方向にポジティブな私でも一つだけ、外見に関するコンプレックスがある。髪だ。

剛毛硬毛癖毛の三重苦の髪。これを変えられたらどんなに幸せだろう

そもそも、我が一族は呪われし毛根の一族なのである。男は若いうちは剛毛だが中年になると残らずハゲる。女は毛量が夥しく多く、その上ひどい癖毛だ。ご先祖様が床屋専門の無差別殺人鬼で、殺された床屋の怨念に一族郎党呪われているんじゃないか、そんなことを本気で考えるほどに。
私もご多分にもれず剛毛硬毛癖毛の三重苦である。ほとんど長さを変えなくても散髪後の美容室の床は私の髪が黒いカーペットみたいに一面に広がっているし、抜いた髪はわらびの先端のごとくくるりと丸まっている。重力をまるで無視して広がる髪は何かが落ちてきてもクッションとして頭を守ってくれるのではないかとさえ思う。
そんな、自分の剛毛癖毛を蛇蝎のごとく嫌う私だからこそ、理想の髪になることがどれだけ精神的な幸せにつながっているのか分かるように思う。

母から提案されたものの、どうせ変わらないと思っていた縮毛矯正

昔話をしよう。先ほど述べたように私は自分の癖毛を憎んでいた。
さらさらしたぺったんこのストレートヘアに憧れて、わざわざパーマをかけて髪をうねらせたい人がいることが信じられなかった。なぜ学校のみんなは真っ直ぐな髪をしているのに、自分だけはうねうねした、鬱陶しい癖毛なのか。
幼い私にはこれは理不尽に映ったしなんとかならないものかと常にヤキモキしていた。小学校高学年の頃には母に頼んでヘアーアイロンを買ってもらい、朝5時に起きて必死に髪の癖を伸ばしていた。
そんな私を不憫に思ったのか、自らも呪われし癖毛の持ち主である母(とはいえ加齢のためか私よりは髪の量も癖も少なかったが!)が私に縮毛矯正を許してくれたのが中学一年生の夏である。これはまさに私の癖毛人生の転機と言える。
実を言うと、縮毛矯正を提案されてから実際にかける時まで自分がどんな気持ちだったか覚えていない。大方、どうせそんなものでこの癖毛はどうにもならないと諦めていたのだと思う。毎日のヘアーアイロンの効果のなさは、私のストレートヘアへの期待を折るには十分だったということだ。

風になびくストレートヘアが、自分を変えるきっかけを運んでくれた

私が猛烈に覚えているのは2つだけ。縮毛矯正をした次の日、部活にいくために大きな橋を渡っていたとき、強い風が吹いて生まれて初めて髪がたなびいたこと。
そして徒歩で歩いていた私を自転車で追い越した先輩の驚いた顔!追い越した後に挨拶をした私を見て目を丸くし、更に進んでから確認するように振り返った先輩の姿だ。
その時、唐突に自分がどれだけ憧れても手に入れられなかったストレートヘアを手に入れたことを実感した。嬉しいとか楽しいとかいうよりも、心のどこかに溜まっていた汚泥が取り除かれたような、そんな晴れやかですがすがしい気分だった。
そのまま登校して参加した部活では、変貌ぶりに驚かれ何をしたのか尋ねられた。これも私にとっては契機だったと思う。人と話すのが苦手ですぐ目を逸らし、会話から逃げてしまう私が明るく友達と話せるきっかけになったからだ。
たかが髪、されど髪。以降私はこまめに縮毛矯正をかけ続けている。髪がさらさらつやつやになる瞬間の充足感は何者にも代え難い。縮毛矯正をする、そんな小さなことが私の心を幸せで満たしてくれる。
最近、パーマをかけたウェーブヘアもいいなと思い始めた。ストレートへのこだわりが消えつつある今、私はコンプレックスを克服したのかもしれない。