中学生になった頃からだったろうか、私は自分と他人の外見を比べるようになっていた。
あの子よりも太い足。毛深い腕。ぱさぱさの髪。
周りと比べる度に、私は自分の外見を嫌いになっていった。
手足は細い方がかわいい。毛がないすべすべの肌の方がキレイ。
髪は艶があってストレートである方が美しい。私はいつの間にか、そう思うようになっていた。
だから、みんなも同じように思っていると信じて疑わなかった。
自分の外見を周りと見比べては、どんどん自信を失っていった。
私はあの子よりも劣っていると感じた。
そして自分のからだを否定することで、自分の内面までもがあの子より劣っているように思えた。
無意識に植え付けられていた価値観
最近のテレビやネットで流れる広告には、偏った表現が多く用いられている気がする。
太っていた人が痩せて、告白が成功しました。
剛毛だったけど、除毛したら異性からモテモテになりました。
というようなものだ。
美容品をたくさんの人に買ってもらうための戦略だとは思うが、そのような誇大した表現を使うことで同時にたくさんの人に偏った意識を植え付けているのではないだろうか。
太っている人はモテない、毛深い人は嫌われる。痩せている人、毛のない肌がモテる。
こうして無意識のうちに、私たちは自分のからだに対してコンプレックスを抱くようになる。
そして、美容品が次々と売れていくというわけだ。
本来、美しさの基準は人によって違うだろう。
人や文化が違えば美しさの概念も違う。
髪型だってパーマが好きな人もいればストレートが好きな人もいる。
痩せている人が好きな人もいれば、太っている方が美しいと思う人もいる。
確かに清潔感のない外見は多くの人に不快だと思われるだろうが、
世間に流されて外見を必要以上に気にしすぎる必要はないのではないかと思うのだ。
拒食症や過食症で苦しむ人たちは、美容品を売る企業の誇大広告による被害者なのではないか。
自分磨きは自分が気持ちよく楽しく生きるためにする
私自身も、以前は自分のからだを好きになれなかった。
だけど私の毛深いところも、太い足も受け入れてくれる彼に出会ってからは、自分のからだを受け入れられるようになった。
むしろもう少し太くてもいいのに。髪も少し癖があるのも好きだよ。と言う彼。
そうか、無理して痩せてなくても美しいと思ってくれる人もいる。
毛深いからだを嫌がらない人もいるのだと私自身の視野が広がったのだった。
それから私は、自分のために外見に気を使おうと思えるようになった。
髪がサラサラだと、自分が気持ちいいから美容室に行く。
太っている自分より、痩せている自分でいる方が自信が持てて楽しいだろうからダイエットをする。
人からどう見られるか以前に、自分が気持ちよく生きられるように自分を磨きたいと思った。
過去の自分と、現在からだのことで悩んでいる人がいたら伝えたい。
美しさの価値観は人によって違うから、自分磨きは自分のためにしたらいいのだと。
もし、からだになんらかのコンプレックスがあったとしても、それを受け入れて自分を気に入ってくれる人はきっといるだろう。