オシャレするかしないか、主体的に選択する日々を手に入れた。…で?

キャンパス内の「就活メイク講座」の看板にドロップキックを決めてから4年。
「いい年なんだから生足は下品だ。ストッキングを履きなさい」という母親のアドバイスを無視し始めて3年。
「東京の学校に行くんだからメイクしなきゃ」の田舎者的強迫観念を捨てて2年。
最近は、カラコン&巻き髪でアイラインを跳ね上げる日もあれば、ノーメイクに地元のイオンで買ったジーパンとスニーカーで出かける日も、主体的に選択する日々である。

「で????」

メイクを辞めたくらいじゃ社会は変わらない

で、何かが変わるのか?私の気持ちが変わっても、社会は変わるの?
「個人的なことは政治的なこと」で、社会を変えるには個々人の実践が大事……だけど、私がメイクを辞めてみて世の中の女性に向けられた「美」に関するメッセージが大きく変わるなら、もうとっくの昔に先輩たちが変えたはずでは?

押し付けられた規範を捨てて、主体的に「自分らしさ」を選ぶ過程を綴ったエッセイ、自己肯定感を上げることを薦めるツイート、「ありのまま」を称揚するプリンセス、プラスサイズモデルを起用した企業広告。
女性たち一人一人の声を超えて、どこか商業化したそうしたメッセージでは、既存の「美」に抵抗することで得たかった私の「生」を獲得できるように思えなかった。
青白い蛍光灯の照らす洗面所で体重計に乗って「標準的な」体重にあたる数字を見て「痩せたいな…。」としみじみ思った夜のあのジメっとした気持ち。
インフルエンザでご飯が食べられなかった後のお風呂の鏡に映ったあばら骨を見たときに腹の底から湧き上がるあの密かな喜び。
こんな気持ちの数秒後に来る、自分の大切にしている理論通りに生きられない罪悪感。

エッセイは、ツイートは、広告は、プリンセスは、こんな気持ちに答えをくれない。
まぁ、「就活メイク講座」にドロップキックする元気はくれるけど。

「自分の大切にしている理論通りに生きられない罪悪感」とどう向き合うか

ということで、既存の「美」に抵抗するための、より具体的な戦略が欲しい!というのが今回の企画で私が得たかったものである。

そして、「ありのまま」は何かをしない自然な状態なのではなく、その先にどんな世界を作りたいかが重要であること。
その世界は、自分の内側にある何かを発現させるのではなく、他者との関わりの中で自分の心地よさを知る過程で出来ていくものだということ。
こういった答えをゲストのお二人から頂いたと思っている。ただしこれは答えそのものではなく、あくまで指針に過ぎず、その実践は私の今後の「生」にかかっている。

研究者である磯野真穂さんのおかげで「自分らしさ」や「ありのまま」という言葉の解像度を上げることができた。
常々、知識は実践してこそ知恵となると思っている。(だからこそ、実践しきれない自分が苦しかった)。今回の知識も私の「生」という実践に活かして、抵抗につなげたい。

偶然の出会い、人との交流。その先に「自分らしさ」があるはず

押し付けられた規範を拒否することは、「自分らしさ」の内側へと潜っていくことではない。
クソみたいな規範だらけの世の中にこの身ひとつで飛び込んで、傷つくこともあるかもしれないけど、偶然性に身を委ねる。バービーさんが激安脱毛店にフラッと入るように。
人との出会い、偶然を面白がって、走れ。
その走ったラインが「自分らしさ」のはずだ。
一緒に走る仲間もきっと見つかるはずだ。
誰かのツイートじゃない、キラキラの生き方マニュアルじゃない道を走ってやる。いつかこの世界がクソじゃなくなるように。

もっとも、走り続けるほど、元気ではない。というか何をしだすかわからない他人と生きることを改めて受け入れるというのは、正直怖い。
だけど、磯野さんも、バービーさんも、なんなら伊藤さんも「どうにかなるよ」と言っていた。
ということで、30代半ばくらいまでは、なんとかフラフラ歩いていけそうな気がしている。