私は中学3年生から大学1年生のはじめまで拒食症だった。
よくテレビでみるような骨が浮き出るほどの痩せ方ではなかったが、友達には「ほっそ、大丈夫?」「もっと食べなよ~。ほんと細いね。」と言われ続けていた。

きっかけは本当に些細なことだった。中学3年生のクラス集合写真。出来上がった写真をみて、自分の顔の丸さに驚いた。
今思えば、写真なんてちょっとした角度で写りは変わるし、中学生がある程度ふっくらとしていることなど健康的な証だ。でもそのたった1枚で、私の意識はガラッと変わってしまった。

知識なく始めた食事制限は、身体も心も貧相にしてしまった

もともと神経質でストイックな性格だった。一度決めるとやり遂げるまで徹底的にやる。
「痩せよう。痩せなきゃ。」そう思ったのち、それまでダイエットなどしたことのなかった私は、知識もないままひたすら食事を減らし始めた。

共働きでも必ず食事を作り置きしてくれていた母の料理を、家族が見ていないところで自分の分だけこっそりと減らしていた。茶碗には一口分だけの白米を、必ず自分で盛りつけた。お菓子は全てやめた。飴一粒のカロリーが怖かった。バレンタインに母が家族に買ってきてくれたチョコレートケーキを、「いらない。」の一言ではねのけた。

食事を減らし続けたため、脂肪は落ちた。しかし食事制限だけで痩せたため、筋肉が落ちて体力がなくなり、冬は体の芯から冷えやすくなった。学校の硬いイスは脂肪のなくなったお尻が長時間座り続けるには辛く、クッションがかかせなかった。

こうして立派な拒食症になっていった。そして身体の変化だけではなく、人のありがたみもわからなくなってしまうくらい、心まで拒食症に支配されてしまった。
「細い」ことが何より自分にとって大切で、人からも細くみられているという自覚が、自分の日々における満足感につながっていた。

一人暮らしを開始後、拒食症の終わりは思いがけず訪れた

私の拒食症は、大学に入り一人暮らしを始めたことで、いつの間にか終わりを告げた。
自分で料理をするようになり、友達とごはんに行くようになり、カロリーや食事量を気にすることが面倒くさくなった。というより、友達の前であからさまにごはんを減らすわけにもいかず、罪悪感を抱えながらも一人前食べるようになった。

そして少しずつ、しっかりと食べることが当たり前になり、食事の楽しさや美味しさに気づいていった。飲食店でアルバイトをしていたこともあり、終了後のつまみ食いや、バイト仲間との深夜ラーメンなんかもあって、体格は普通くらいに戻っていった。

このころはもう細いことへのこだわりよりも食欲が勝っていて、甘いものも揚げ物も気にせず食べていた。
大学時代の写真は、太ってはいないが顔は全て丸い。でも自然と拒食症を克服できたこと、細いことへのこだわりや人の視線を気にしなくなったことは本当によかったと思っている。

拒食症を克服し、ようやく見つけた自分の身体との付き合い方

高校までの拒食症時代、大学の食欲勝り時代を経て、今は普段からある程度食事に気を付けながらも、食べたいときに食べたいものを食べ、しっかりと運動をして身体作りをし、体重ではなく感覚や見た目で自分の身体を把握するようにしている。

やっと自分に合った身体との付き合い方を見つけつつある。「ちょっと全体的に身体が重いな。」「食べすぎたな、肌荒れもしてるしな。」「ここをもっと引き締めたいんだよな。」といった具合に、感じたことを素直に受け入れ、体の調整にかかる。無理な制限ではなく、いつもより少し糖質を気にしたり、無駄な間食を減らしたりというように、「普段よりちょっと頑張る」を心がけるようにしている。

3年半ほど前からはホットヨガを始め、インストラクターの先生たちの引き締まった健康的な体をひそかに目標にしていたりもする。
ホットヨガでは体のラインが出るウェアを着ているため、いい意味で人からの視線を意識し、自分の身体をチェックするいい機会になる。ホットヨガは体が引き締まるだけでなく、老廃物が出るため肌の調子もいいし、心の浄化にもなる。

昔はあんなに気にしていた細いことへのこだわりや、人から細いと思われること。今はただ細いのではなく、体幹の筋肉があって引き締まっている体が魅力的だと感じるし、多少の脂肪は女性らしさであることだとも思っている。

また人からの視線は自分を客観的にみる指標であり、自分に適度な喝を入れるものだと思えるようになった。
「視線は気にするものではなく、利用するもの」
こう思えば、視線なんて怖くない。まだまだこれからも、私の身体との付き合い方の探索は続く。