わたしは、今日も彼女たちのメイク動画を観る。

わたしが観ている動画は、女優さんやモデルさんが出演するものではなく、想像を超えて美を追求する一風変わった方々がメイクを紹介するもの。カラフルなメイクをするドラァグクイーンのお姉さんだったり、肌を紫色に塗ってお人形さんのような格好をする人だったり、口周りを黒くギザギザに描く女の子だったり…。異世界から来たような見た目で、日常を過ごす姿が動画に映し出されている。

万人受けはしないであろう彼女たちの美意識は、外野なんて関係なく自分自身の中で完結していて、真っ直ぐでかっこいい。

わたしは整形や見た目の話題になると、ついつい物申したがり屋になる

ある日、“二重整形”というワードがTwitterのトレンドに上がっていた。それに関するツイートを見ると「整形について反対」「賛成」とか、いろんな意見があった。そんな中、こんなツイートが流れてきた。

「一重でも可愛い人はいっぱいいるよ!」
それは一重のアイドルやモデルさんの画像と共に主張するものだった。

そのツイートをしている人たちは「一重の人は二重整形をする必要はない」と一重まぶた民を勇気付けようとしてくれたんだろうか? 一重のアイドルの写真をいくら並べられても「ちがう、そういうことじゃないんだよなぁ」と思う。

わたしは、整形や見た目の話題になると、ついつい物申したがり屋になる。なぜならつい先日二重整形をしたから。

生まれつき一重まぶたのわたしは、自意識の中で「ブサイクだ」と思っていただけならまだいいのに、次第に外野からも見た目について言われるようになった。

高校時代には、毎朝通学中の電車で他校の生徒に指を差されて笑われた。今思うと、地面と垂直に構えられた携帯は、わたしの写真を撮っていたんだろう。

外野からもブサイク判定されたわたしは、自分の見た目が大嫌いだったし、自分らしくないと思っていた。

二重整形をした後「自信」を持って正面を向いて歩けるようになった

その悩みを解消すべく、二重整形をした。毎朝起きてまぶたの上に1本、線があるのがうれしい。学生時代のトラウマがあるとはいえ、顔のバランスを考えてみても二重のほうが可愛くなれると思ったから整形した。

きっとそのままでも可愛いと思ってくれる人と出会えるかもしれない(めちゃめちゃ微小な可能性)けど、今まで蓄積されてきたわたしの美意識の中で、自分の目は二重になる必要があった。

実際、整形した後のほうが、わたしらしいと思う。似合っていると思う。また、自信を持って、正面を向いて歩けるようになった。

そんなことを思い出しながら、またあのツイートを見直す。たしかにそのアイドルは可愛いし、一重まぶたが魅力的だった。でも、それは顔全体のバランスだったり、醸し出す雰囲気だったり、そういう全体像としてその子は可愛いのであって、わたしが一重のままでも可愛くなれることを証明するものではなかった。

悪気があるツイートではないだろうけど、これまでの自分の美意識を否定されたようで憤慨してしまった。「一重でも可愛い人はいる」だなんて、安易に励ましてくれるな。それぞれが思う”可愛い”を、ただ受け入れてほしい。わたしが可愛いと思ったらそれでいいんだ。

わたしは自分が可愛いと思う顔で、好きな服を着て生きていく!

わたしが思う“可愛い”とか“美意識”に、他人が入ってほしくない。わたしが可愛いと思ったら、その服を買うし、必要であれば整形もする。自分の見た目を嫌いになったきっかけは他人からの視線だったけれど、結局は自分の意思で、自分のために整形した。

わたしは、わたしが可愛いと思う顔で、可愛いと思う服を着て、生きていきたい。人の外見を馬鹿にしたり、可愛くなるツールである整形に偏見を持ったり、他人に干渉したがる世の中だけど。

今日もテレビでは、人の外見をいじってゲラゲラ笑っている人が出てる。

それを横目に、今日もわたしは彼女たちのメイク動画を観る。

わたしは、わたしが思う可愛いを信じて生きていくし、あなたの思う可愛いを尊重する。それを真っ直ぐに教えてくれた彼女たちを観て、自分が間違っていないことを確認するために。