肌があまり好きになれない。肌が弱いせいで、綺麗になりたい、好きなものを選びたい、という思いが制限されてきたから。気になったものを目の前に「あ、可愛い。欲しいな」とわくわくした次の瞬間には、「これで荒れてしまわないかな?」「これを使ってもいいのかな?」という不安が頭をよぎってしまう。
どうして好きなものを選んで使うのを、こんなに恐れているのだろう
肌が弱いのは子どもの頃からだった。同じように肌が弱かった母親は、物心ついたころから同じものを使っていたのだけれど、あまりにもシンプルケアすぎて、真似したいとは思えなかった。
小学5年生のとき、近くの本屋さんでスキンケアの本を手に取った。そこで、子どもには子どものスキンケアがあること、子ども向けにもさまざまな商品があることを知った。勇気を出して、母親に本を見せてみたけれど、反応は冷たかった。子ども向けにしては高すぎるというのなら、素直に言ってくれれば良かったのに。好みでないというのなら、好きなものを一緒に選んでくれれば良かったのに。それから、こうしたい、ああしたいと言い出すことすら、半分あきらめてしまった。
母親が、さまざまな物を試した末に同じものを使い続けているのは、想像できる。でもそれが、わたしが好きなものを探してきて使う妨げにはならないはず。なのにどうしてわたしは、好きなものを選んで使うのを、こんなに恐れているのだろう?疑問が、長いこと頭の中をぐるぐるしていた。
一人暮らしを始め、自分で買う自由ができてからも、どこかで遠慮していた。スキンケアでさえそうだったから、新しく始めたメイクではなおさらだった。好きなものを選ぶことで荒れてしまうかも、というのも恐かったけれど、好きなものを選んで自分が変わることで、誰かに何か言われてしまうのではないか、というのも恐かった。
肌の弱さを理由に、好きなものを選ぶ自由をみずから奪ってしまっていたのかもしれない。肌が弱いからと、誰かの視線を気にして、好きなものを選ぶことから逃げてしまっていたのかもしれない。
新たな発見。聞かれるまで、口に出すまで、考えたこともなかった
ある日、友達からおすすめされて、一緒に一本の動画を観た。肌について等身大の悩みをシェアするため、住む場所も国籍も、職業も違う人たちが、さまざまな問いに答えていた。観終わったあとに友達は、動画にもあった一つの問いを投げかけてきた。
「自分の肌で、好きだと思えるところはどこ?」
一瞬考え、出てきた答えは、
「何が合っていて何が合っていないか、からだの声に気づかせてくれるところかな」
だった。
聞かれるまで、自分の肌でどこが好きかなんて、考えたこともなかった。口に出すまで、肌が弱くて何がよかったかなど、考えたこともなかった。でも、肌が弱いからこそ、何が合うのか、何が心地よいのか、自分の感覚で素直に選ぶことができるのかもしれないと気づいた。
友達は、いつも明るく振舞うその子にしてはめずらしく、肌が荒れてつらかった頃の話をしてくれた。それからずっと同じスキンケア用品を使い続けていると言ったとき、「ちょっとわたしには高いんだけれど...」とどこか遠慮がちだった。
肌への視線を気にしているのは一人だけではない、と思えたことが、とても心強かった。また、誰かの視線を理由に、肌を好きになるかどうかは決まらないと気づけたことが、新たな発見だった。
まだ、子どもの頃に家族から言い聞かされた言葉が、心の片隅に残っているのかもしれない。でも、家族や他の誰かの視線を気にするより、自分のからだからの声に素直になった方がいいと、今なら思える。
わたしは、肌があまり好きになれなかった。それでも、好きになれるよう、合うもの、心地よいものを選んで使う自由を守りたい。そのために、からだからの声に、もっと耳を澄ませたい。