「お前、もっと肌がきれいだったら可愛いのにな」
そう言ってきたのは大学時代の先輩だった。その先輩とは深い関わりがあったわけではないので、お酒が入った勢いでつい言ってしまった冗談だったのだと思う。

ヒトは、アルコールが入ると普段は言わないような本音が出ると言われるが、私に向けられたこの言葉は周囲の人から見た率直な印象なのだと思った。
つまり「肌が汚い」ということ。なかなかにパンチ力がある言葉だ。
気にしない気にしないと自分に言い聞かせたが、やはりショックと恥ずかしさでいっぱいだった。酔いが醒めてしまうほどであった。

肌トラブルとの辛い戦い。落胆の日々。

このような出来事は私の人生の中で度々あった。
思い返してみれば、中学2年生の頃から思春期ニキビに悩まされていた。
スキンケアを工夫したり、食生活を改善したり、親に頼み込んで皮膚科に通院させてもらったり、できることはしてきた。
ニキビができてからは、素肌を見られたくなかった為、ずっとマスクをつけて学校生活を送っていた。

それは高校に入学してからも変わらず、マスクを外さないといけない昼食の時間がとても嫌いで、辛かった。
おでこのニキビはパッツン前髪で隠し、顎ニキビはマスクで隠し続けてきた。
高校3年間はそうやって乗り越えてきたのだ。

大学生になってからもスキンケアや皮膚科通院は変わらず続けていたが、進学後は地元を離れ一人で暮らすようになった為、家事をこなす事で手一杯になり食生活の維持が難しくなっていった。
また、お酒の席も増えたり、試験前にはストレスで過食したりと、食生活が乱れるとともに肌の状態も徐々に悪化していった。

やばいな、そう感じる時にはもう手遅れで、ニキビに侵されていなかった頬にまでニキビができてしまい、もう、自分は、ずっとこの肌と付き合っていかないといけないのか、と落胆したのを覚えている。

自分の体に自信を持ちたい、という気づき

ずっと、他人の視線が辛かった。
それでも、できることから少しずつやっていこうと気持ちを持ち直して、食生活は特に気をつけ、社会人になった今でも何とか自炊を続けている。まだまだきれいな肌とまではいかないが、現在ではだいぶ落ち着いてきた。

ただ、今も継続して頑張れているのは、肌荒れを治したいという気持ちの他に、他人の視線を気にしないほどに自分に自信を持ちたいという思いがあるからだ。

そう思うようになったのは、友人との何気ない話の中で
「もし整形するならどこを整形したい?」「自信がある体のパーツってある?」
と聞かれたことがきっかけだ。

私は迷わず、「皮膚! この荒れ肌をきれいな肌に取り替えて欲しいかな」と整形したい箇所については答えられたが、自分の体で自信のあるパーツが全く出てこなかった。

自分の顔や体は大好きな両親からもらったものであり、大事にしたいとは思っていたはずなのに。正直、自分でもショックだった。
自分は、両親からもらった顔・体の何一つを取っても、自信を持っていないということに気づいた瞬間だった。
その時に、他人の視線を気にしないほどに、自分のからだに自信を持ちたいと思ったのだ。

他人の視線は「刺激」としてプラスに捉える

他人の視線は自分のコンプレックス意識を増強させることが多くある。
私自身そう感じることがこれまでに何度かあった。冒頭のエピソードもその一つである。

他人の視線はいい意味を持つものばかりではない。しかし、その他人の視線に気づいたなら、気づくことができたのなら、逆に視線が気にならなくなるほどに、自分に自信を持ったり自分のからだを好きになったりできるよう邁進していけばいいと思うのだ。

それは簡単なことではないが、他人の視線を気にして思い倦ねてしまうよりも、他人の視線を「自分の中にはない外からの刺激」としてプラスに捉えることが、これからの人生の糧となり得るのではないか。

そう思いながら生きていこう、と私は心の中で繰り返している。
私はまだまだ未熟だ、心も体も。