「ちゃーちゃんは、目が大きいね」

目が大きい。自覚はある。これから、どう応えたら良いのか?

わたしの人生において、容姿に言及されたセリフの最多賞はこれ以外に無い。それ以外大きく平均を外れることもなく、アレルギー体質で多少の肌荒れが目立ったところでそれを口にするのは憚られたからだと思う。
自覚はある。白目の面積が広い、プリクラ機の補正をもってしても三白眼が残るような顔だ。デザインによっては、眼鏡の内側に目蓋が触れる。小学生の頃は出目金と呼ばれたこともある。自慢でもないし、コンプレックスでもない。事実として、自分の目は他より大きいのだろうと思っている。

「ちゃーちゃんは、目が大きいね」

今まで、どう応えれば良かったのだろう。これから、応えればいいのだろう。

モヤモヤしつつ茶化す。笑う。傷付かない。傷付けていないことを願う

「目が大きくて可愛い」
ありがとう。可愛いと言ってもらえて嬉しいよ。
「目が大きくてキモいんだけど」
うるせえばーか。嫌なら整形代よこせ。
「目が大きくてびっくりした」
それは驚かせてごめん。
「(目が大きく出ているので)調整しますね」
眼鏡屋さんありがとう。いつもお手数おかけします。
続く言葉があれば、それに反応できる。でも、それがなければ?
羨んでいるのか。忌避しているのか。褒めているのか。蔑んでいるのか。わたしが忖度の下手なタイプであることは事実として、それにしたって見た目を話題にするのは難しいと思う。

時代が変わり『他人の、特に女性(このあたり、男性やそれ以外でも同様だという意識がもっと広まればいいなぁ)の外見に対して不用意なコメントをすることはやめよう』という風潮がある。それを受けての個人的感想を避けた「大きいね」なのかもしれない。
いやそれ変わってなくないか。
わたしは自分の顔を嫌っていないが、仮にコンプレックスなら「大きいね」だけでも傷付いただろう。
というか、逆にわたしの目が人並み外れて小さかったら言及したのか? 大きい目が好ましいという前提で話しているならば容姿の良し悪しで語る域から出ていないのだけれど、その認識はあるのか?

……などと、モヤモヤしつつ曖昧に笑う。
当たり判定が広いから花粉症しんどいぜ、と茶化す。あっでも当たり判定が広いからワンチャン二階から目薬いけるかも、と茶化す。笑う。傷付かない。傷付けていないことを願う。笑う。

欠点とは感じない。とはいえ、指摘されて反応に困るのは楽しくない

己の目を欠点だと感じたことはない。とはいえ、指摘されて反応に困るのは楽しくない。
アイメイクのコツはいかに瞳を大きく見せるかになりがちだから、それらを実践しない。近眼のレンズは目を小さく見せるから、コンタクトにはしない。
それでも避けられないときは避けられない。
「ちゃーちゃんは、目が大きいね」
応えられない。

会話はキャッチボールだという。
今までいくつ受け取り損ねたボールがあって、返し損ねたボールがあったのだろう。受け止めるべき球も、弾いてよかった球も、見逃してしまった。
約四半世紀、答えを探している。探しながら、笑っている。探しながら、笑いながら、眼鏡をかけている。